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「時流」カテゴリの記事一覧

「脱原発世界会議」に関する所感

カテゴリ:時流      2012年1月21日

1月14日から横浜にて行われた「脱原発世界会議」に行ってきました

会場となったパシフィコ横浜は、朝から警察はが戒厳令のような警備をひいて会場前は異常な雰囲気でした

1月16日に、参加人数が1万1500人との発表がありましたが、このカ​ンファレンスをまともに扱った新聞は東京新聞だけだったと言​ってもいいでしょう
警察が​戒厳令のような警備を敷き大半の大手メディアが取材に来ていましたが、東京新聞以外は記事にありませんでした
ドイツが一度の被爆も受けていないのに脱原発を国民投​票で決めれた影には市民メディアの影響がありますが、ドイツで市民メディアが発達した影に国が助成金を付けたという背景があります
そこは、日本と大きく異なる点です
日本は、テ​レビ、新聞、ラジオを所有している会社が同じなのが問題で、先進国では例を見ません
異なる媒体を特定の同じ会社が保有するとメディア監視に問題が出るからです

さて会場では、収容人数が千名のメイ​ン会場は常に満席で他のホールも人気のセッションは立ち見が出る​ほどの熱気で確実に体制が動いていくのを私は感じました
また、ヨーロッ​パから来日した原発専門家の知識、経験レベルが高く日本が変われるの​を参加者も感じているようすが議論からわかりました

エネルギーシフトに興味があるので、私が参加したかったのは環境エネルギー研究所所長である飯​田哲也氏のセッションでした
反原発を叫ぶのも大事ですが、エネルギーシフトに対して各論がないと世論が動かないと考えているからです

以下、飯​田哲也氏のセッションからです
・ドイツでは2000年に6%が自然エネルギーだった割合を2010年までに12%の目標を掲げたがフタをあければ17%を達成
・ドイツにおける自然エネルギーの経済効果は5兆円で37万人の雇用を生み出し、自然エネルギーは地域の人たちが所有するため毛細血管に血液が行き渡るように地域が豊かになる
・2000年、自然エネルギーの世界投資額は1兆円にも満たなかったが2010年は22兆円、ドイツが5兆円、中国が5兆円、アメリカ3兆円、日本はたったの3000億円
・菅首相は、2020年に日本の自然エネルギーは電力量の20%へ拡大すると表明したが、ドイツは39%、スペイン40%、スコットランドは100%を目標設定
・2010年の日本の化石燃料輸入金額は23兆円でGDPの約5%で、2000年の化石燃料輸入金額はGDPの約1%で化石燃料の世界的金額が値上がりしている。経済的に見ても化石燃料を使い続けることは有り得ない

私が今回の「脱原発世界会議」から学んだことですが、エネルギーシフトに関しては、小規模、​多様化(太陽光、小水力、バイオマス、地熱、風力等)、地産地消、ネットワー​クが鍵だと実感しました

ノマドな生き方

カテゴリ:時流      2011年11月24日

最近、書店に入ると「ノマドな生き方」をテーマにした本が随分並ぶようになってきた
はてなキーワードによると、ノマドとは「北アフリカの砂漠や中央アジアの草原で、羊や牛を追って生活している遊牧民。最近では、オフィスのない会社、働く場所を自由に選択する会社員といったワークスタイルを実践している人々の意味でも使われる。」と書かれてある
ノマドな生き方をする人が日本でも増えてきたが、ノマドという言葉を私が初めて聞いたのは2008年にジャックアタリが書いた著書「21世紀の歴史」だった
その第5章で国家の弱体化と地域紛争の続発を予測し、国境を越えて世界を自由に行き来する層が生まれると書いてあったのだが、私の周りでも2009年を境にシンガポール周辺に移住する日本人が増え始めた
彼らはまさにノマドで、日本という国境を越え自分が創業した会社さえ売却して遊牧民のように羊や牛を追ってビジネスチャンスのより高い場所を探す
また、大企業から独立してフリーランスとして日本国内でノマドな生き方をする層が最近後を絶たない
私が所属するウェブ業界でも、大手に勤めるマネージャー層からそのような傾向が出始めていて、その企業にとっては間違いなくキーパーソンで今までだったら役員を目指すか、同業にヘッドハンティングされるかというようなポジションの人種が今、働く場所や時間を自由に選択できるノマドの道を選ぶ
ジャックアタリの著書でも、ノマドという層が生まれる一方、既存の職業や組織にしがみつく層が同時に増え彼らの所得は減少化していくと書かれているが、その傾向はアメリカでは2005年以降に顕在化し、日本も既に顕在化してきている
私がベトナムにオフショア開発の会社を2007年に設立した時、アメリカでは年収6万ドルの弁護士、エンジニアがこぞって職を失い、その仕事がフィリピン、インドに移動していた
それを見たとき、ルーチン系の職種人材を日本で採用し続けるのは危険だと感じて日本法人とベトナム法人を繋ぐスキームを考えた
「ノマドな生き方」をする人の出現は、良きにしろ悪しきにしろグローバル化が生み出した結果なのである
経営者にとっては本当にやっかいな時代である、日本の国内マーケットの成長が止まりただでさえ経営が困難なのにキーパーソンな人材までがノマド化して流出する可能性がでてきている
私の周りでも、退職してノマド化した人材を流出させないために急いで業務委託を結ぶ企業も出始めている
企業が仕事のデキル社員を縛ることができなくなったのだ

考え方を変えれば、「ノマドな生き方」が実現した層にとってはいい時代である
毎朝満員電車に揺られて、決められた時間に決められた場所に行く必要もなくなり、時間、場所、収入を自分で選べるようになったからである

今後、大企業がより合理化を目指して合併を繰り返す一方、ノマド層が増え続け新たなる組織形態が生まれるであろう
この先に何が生まれるのかを模索していきたい

2011年の田んぼプロジェクトが終了

カテゴリ:時流      2011年10月17日

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2011年の田んぼプロジェクトが全て終了した
今年は、昨年より田んぼの作付け面積を増やし、田んぼオーナー制度には20名が参加してくれた
田んぼオーナー制度の目的は、都市の人と耕作放棄地の田舎を結ぶこと、都会の人が米の自給を実現すること、「結い」の精神を取り戻し食料自給の楽しさを味わうこと
以上の3点で、年間に5回の田んぼのワークショップに参加してくれれば米の自給ができるように今年はプログラムを組んだ

田んぼは、畑に比べて楽である
畑は、まめに面倒を見る必要があるので月に1度の作業で自給というわけにはなかなかいかない
ベランダでトライする方がおもしろいかもしれない
私も、東京在住時代に長野の安曇野で畑を借りてチャレンジしたが月に2回のペースでは、常に草から作物を救出する作業ばかりで一向に実らず草刈ばかりしていた記憶がある

大人1人が食べる年間の米の量が60キロと言われている昨今、都心の人が思っているほど自給用の米をつくることは難しくはない
大きく分けて5つの工程に分かれる
まず、私が運営する「NPO法人あわ地球村」の位置する南房総では4月の中旬に「代掻き」(水を入れた田んぼをトンボで平らにする作業)、5月初旬に「田植え」、「除草」を田植え終了後、週に1回、田車という手押し車を使って4週間行う
6月に入ると、稲の分結が始まるので田んぼには入らずにその後3ヶ月は、ひたすら祈る、声がけをする、9月中旬に「稲刈り」を行い竹で米を干す台を組んで米を天日で干す、9月下旬に「脱穀」
以上の5工程である
私たちは、無農薬、無化学肥料で行うので1反あたり出来高が約6俵(360キロ)つまり大人6人分が年間で食べることができる米が収穫できる(農薬、化学肥料を使っているご近所さんは約8俵を収穫)
4回の除草を6人でシェアリングすれば、5日で米の自給ができる計算になる

人間が生きていく上で必要なものは「食」である
これを自給できると何ともいえぬ安心感が生まれることをある日、私は知った
「半農半X」という生き方をお勧めしているが、食をある程度自給すると何かにしがみつく必要がなくなる

今、世界中でデモが起きはじめたが、GDP1位のアメリカニューヨークで始まった反格差デモ「ウォール街を占拠せよ」は10月16日にかけて米国内で拡大し、ニューヨーク最大の繁華街タイムズスクエアには数千人があふれ、暴徒化した参加者がAP通信によるとNYで80人逮捕、シカゴでは175人が逮捕された
GDP3位の日本でも、経済格差の拡大に抗議する米国の運動「ウォール街を占拠せよ」に呼応したデモや集会が15日始まり東京都内では、若者らが「OCCUPY TOKYO!(東京を占拠せよ)」と書かれた横断幕を掲げてデモ行進をした 
これは、国民の怒りである 
3.11の震災以降、被災地支援、放射能問題を通して国と政治家が国民を守るわけではないということを国民がはっきりと知ってしまった
そして、大手メディアが事実を伝えているわけではないということを
国の優先順位としては「国民の命と生活」が1番で「経済」は次のはずである
私も被災地に、毎月通う間に日本を動かすトップ集団のお粗末さを嫌というほど見せつけられた

日本でも、少し前までは額に汗水流せば誰もがそれなりに生きていくことができた
だが、2008年のリーマンショック辺りから日本のこの神話も怪しくなってきた
2008年の暮れあたりから日比谷公園に「派遣村」なるものが誕生し、夜露を凌ぐテントと空腹を満たす食事を求める非正規労働者で溢れた

いよいよ日本も、GDPからGNH(国民総幸福指数)を目指す時代に入ったのだろう
国が信用できない以上は、自分の身は自分で守るしかない
でも人間は1人では生きていけない、「結い」の精神を取り戻し本当の自治区を作る時代が来たことを感じる

「もの」から「つながり」を重視する社会へ

カテゴリ:時流      2011年8月 6日

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米国の財政危機も今回の債務不履行はかろうじて回避されたが、大統領、民主共和両党の三つ巴の協議を見ているとどの国も政治家は国民を横において自分の権力維持しか考えていないように見える
円高も史上最高値近くの76円まで進んだが、米国が作り上げてきた国際通貨としてのドルの反落やヨーロッパでのユーロ体制の危機は、貨幣至上主義の秩序的な危機を感じさせられる
ある日突然ベルリンの壁が崩壊したように、この秩序もいずれ大きく変わるのだろう
それは、貨幣の価値が下がり商品の価値が上がり、人との絆に重きを置くそんな時代になるのではないかと私は予想している
日本は資本主義の発展とともに大量生産・大量消費から、多品種少量生産の社会へと移り「もの」から「つながり」を重視する社会へと移りつつある
電車に乗ると10年前に比べて携帯電話を動かしている人が多くなった
「つながり」を確認する携帯電話は、人々の体の一部となりつつある
フランスのシンクタンクLEAP/E2020が金融資本主義の崩壊とともに持続可能な新しい経済システムが出現しそれは共同体志向の強い経済であると予測している
「金融危機ならびに世界不況に直面し、国民は政府、企業、メディアなどの社会組織に対する信頼を完全に喪失してしまった。逆に、いま国民は信頼できる仲間との関係を樹立し、地域コミュニティに回帰する方向に動いている。
地域コミュニティに回帰した生き方は、幸福の源泉を家族や仲間との人間関係に見出すのであり、車や耐久諸費財へのものの消費に向かわなくなる。いまこのような消費性向の変化は主要先進国で加速している。したがって、アメリカの膨大な消費が支えてきたかつての状態に世界経済が戻ることはまず考えられない。それを実現しようとする政府のどのような努力もむだに終わる」と書かれてある

先日、石巻の黄金浜地区で藤田利彦氏という地域のリーダーにお会いした
石巻の黄金浜は、4月に入るまで自衛隊の支援がやって来ず3月11日以降は自力で生き延びた地域なのだが、震災で64名の方が亡くなられた
震災直後の2日間、町の浸水が収まらず大半の方が2階で生活されていた
3日後に浸水が治まり2階から降りていくと町に死体が投げ出されていたということだ
その間、自衛隊の官邸への報告のためだけに飛ぶヘリコプター、民間メディアの撮影用のヘリコプターが上空を飛び交い町の人々が屋根から手を振って助けを求めるが、彼らは気づいていたはずなのに誰も助けに来なかった
やがて、黄金浜の人々はヘリコプターが来ても手を振るのをやめた
どうせ手を振って助けを求めても誰も来てくれないのだとあきらめたのだ
そして、力尽きて亡くなられる方が出始めた
その後、彼らは自力で生きようとし始めその地域の中で食べられるものを瓦礫の中から探し命をつないだ
3月20日を過ぎると、地域の中でも格差ができはじめた
藤田氏の住む黄金浜は、新興住宅街のため3件隣に誰が住んでいるのかがわからなかったために共同体を作ることができず炊き出しを自力で実施することができなかった
しかし、隣町は昔ながらの集落だったので同じ時期に、倒壊した家屋の木材を燃やして炊き出しが始まった
その差は、地域の「絆」(つながり)でありベースは祭りだと藤田氏は語る
祭りが盛んな地域は共同体的な絆が残っているが、祭りが希薄になった地域はその絆がなくなり災害が起きたときに、助け合うというコミュニティが作れなくなってしまっていた

この事例に、これから人々が生きていく方向性があると確信した

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新しい日本の創造

カテゴリ:時流      2011年6月22日

震災から3ヶ月以上が過ぎ、東京の町を歩くと止まっていたエスカレーターが動き始め、消えていたビルのエントランス照明が付き始めたりしている
何か「喉元すぎれば暑さを忘れる」そんな空気を感じるのは私だけだろうか?

1990年代から約20年間、日本は国が進む方向性を見失ったままの状態である
1980年代に日本は、豊かな食と商品がが豊富で多種多様の選択が可能な世界一豊かな国になった
しかしその後、先進国でありながら3万人の自殺者を生み出すという現象を引き起こした
いくら物があっても、便利であっても、GDPが上がっても幸せにはなれない
幸福感を感じることはできないということが実証されたのである
そろそろ、この震災をきっかけにそれを共有する時期に来ているのではないだろうか
3年前までベトナムに子会社があったので私は毎月、ホーチミンに出張に出向いていた
ベトナム出張でいつも驚かされたのは、ベトナム人のエネルギーである
子供も若者もエネルギーがみなぎっていて、「生きている」ということを感じさせてくれる
日本に比べて物はなく、1台のバイクに家族が3人乗りしていたり、就職をして一番買いたいものが携帯電話であったりする
ベトナムから成田に帰ってきていつも感じるのは、日本人の「生きる」というエネルギーの希薄さであった
震災後、しばらく東京で電車による人身事故が起きなかった
それまで、多い日は1日に2度経験したことがある
おそらく今回の震災は人々の死生観に影響を与えたのであろう

今後、時間をかけて日本は復興するだろう
でも、元の生活に戻すことが本当にいいことなのだろうかという疑問が私にはある

安政の時代にも大津波を東北を襲ったが、その時に津波が来た場所に石碑を建て「これより下には住まない」と取り決めを行い、先祖代々それを申し送りした集落があるのだが
その集落は今回の災害を免れることができた
先日、石巻の相川避難所に行ったのだが、わずか20メートルの差で全壊した家と無傷の家とに分かれているのを目の辺りにした
無傷の家は高台に建っていた
日本は便利さと効率を追求して街づくりをしてきたが、被災地の都市計画に関しては海岸沿いの平地は農業、林業地域にして集落は津波が来た場所より高台に再生したらどうだろうか

1960年代の日本のエネルギー使用量は現在の3分の1だそうだ
私は1960年代の生まれだが、当時と今とを比べてみると必要な物は既にあった
今日、昼間に東京の山手線に乗ってこれほどの本数の電車を走らせる必要があるのかと疑問に思った
まず前提として、本当に全員が同じ時間にオフィスに毎日出社して仕事をする必要があるのだろうか
これだけインターネットインフラが整った昨今、自宅勤務を徹底的に推奨したらどうだろうか
そうすれば、産業エネルギー量も減らせるし通勤という人々の負担も減る
日本人の豊かさ指数は上がるのではなかろうか

今回の原子力政策に関しては「官」「民」「学」の癒着が浮き彫りになったが、必要なときに必要なことが起きるので今回の震災は大きな痛みを伴ったが、日本が新しい国に蘇生するチャンスである
再生エネルギーへの国策転換、各家庭で電気蓄電ができる電池の開発及び徹底した省エネ家電の開発、輸入に頼るのではなく食料に関しては自給文化の創造、
中央集権から地域の独立化及び地域通貨の普及等、今だからこそできることがある
震災が起きなくとも、日本は行き場を失っていたのだから
大病になった今こそ生き方を変えるチャンスである

少しくらい不便でも、持続可能で安心して生きられる社会、新しい日本の創造に向かっている

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桐谷晃司

1964年生まれ。スタートアップスクエア(株)、デジパ(株)代表取締役社長。世界30ヶ国を放浪した、自称スピリチュアルビジネスマン。

現在は南房総の千倉町で半農半Xな暮らしを目指しながら、循環型のエコビレッジ「あわ地球村」を創設中。

  • スタートアップスクエア
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