作家/プロフェッショナル・ブロガー 立花岳志さん(第1回/全3回)
サラリーマンの傍らで始めたブログが人気を博し、41歳で「ブロガー」として独立した立花岳志さん。第1回のインタビューでは、「自分らしく生きること」についてお話をいただきました。
立花岳志さんのプロフィール
作家/プロフェッショナル・ブロガー
1969年東京都生まれ。人気ブログNo Second Life (http://www.ttcbn.net/no_second_life/)主宰。
会社員の傍ら始めたブログが人気を博し41歳で「ブロガー」として独立し、フリーとなる。ブログを中核とした個人の情報発信により、広告、セミナー・講座運営、イベントプロデュース、個人コンサルティングなど幅広い分野で活躍。
2014年6月には株式会社ツナゲルを設立し、代表取締役兼CEOに就任。
著書に『サラリーマンだけが知らない 好きなことだけして食っていくための29の方法』、『ノマドワーカーという生き方』、『クラウド版デッドライン仕事術』(吉越浩一郎氏との共著)などがある。
「自分らしい人生を生きていない」
という閉塞感をうちやぶって何か起こせないか
(聞き手/デジパ:桐谷、木下)
桐谷:2010年に、17年間勤めていた会社を辞めて独立を決め、今の人生を実現されるわけですが、好きな時に好きな仕事をして生きていく、という理想的なライフスタイルをどのようにして実現されたのでしょうか。
立花:幼い頃から文章を書くのが好きでした。
大学の英文科を卒業後、就職の際にフリーランスの翻訳者になろうと思い1年間勉強したのですが、翻訳というのは他の誰かが書いた原文を日本語に訳すわけですよね。変換業務であって、つまらない、やはり自分のことを書きたいと思いました。でも当時は自分のことを書くメディアはあまり存在しておらず、それで仕方なく一度就職をしてサラリーマンになったんです。
サラリーマンはもともと望んではいませんでしたが、やり始めるとおもしろかったですし、辞めたとしてもどうやって食べていくのかと悶々としている状態が続いていて、行き詰まりを感じてきました。仕事は一生懸命やっていたの ですが、全く充足感が無かったんです。これを一生続けていくのは厳しいと思いながらも、会社に依存しているので、退職後のことを考えると辞められないという状態にどんどん追いつめられていきました。
さらに当時、バブル期に親が家の大改造をしたのですが、完成した直後にバブルがはじけてしまい、借金だけが残ってしまって。仕方なく売却して、残った借金を親に代わって僕が貯金や、毎月コツコツと返済をしていたのですが、その時は身体の調子も悪く、つくづくいろいろなことがいやになってしまったんです。
全く自分らしい人生を生きていないのに、このままだと借金を返済して病気になって終わってしまう、と思ったんですよね。それがすごくうんざりとしてきて、でも会社をやめて何ができるかは全くわからなかった。そしてそのときにブログを書こうと思ったんですよね。閉塞感をうちやぶって、何か起こせないかと思ったんです。
自分が何者かになっていくために
新しいことにチャレンジする
立花:当時、インターネット上で日記として情報発信をしていて、これをブログというかたちにしたいと思っていたのですが、なかなか動き出せませんでした。そしてとうとう8年も先送りして、ようやくブログを書き始めた経緯があります。
やはり向いていたのか、そこからは夢中になって書き続けました。自分は何者かになりたいけれどなれていない、何者かになっていくために新しいことにチャレンジをする、というコンセプトもよかったと思います。例えば本を読んだら書評を書く。実用書に書かれたことを片っ端から実践していく。身に付いたらそれをまたブログに書いていく 。iphoneアプリをとにかく試して書いていく。自分の進化、自分が便利になる、よくなること、おいしいものを食べて自分が気持ちいいとか、自分が「よかった」と思ったものを、自分の後ろに歩いている人にシェアするというコンセプトで始めたんです。だからネタ切れがないんですよね。どんどん試したことをやっていけばいいんです。
でも、同世代の人はベストセラーを出したりしているのに、自分はまだ何者でもなく、他の人と同じことをしていたら、永遠に追いつけないと思いました。そこでブログの更新頻度を一日3回にすると決め、それをできる限り続けるために朝はランニングの記事、お昼は書評、夜はガジェット系の記事を書く、という習慣を続けていました。
少しずつ人気も出てきて、アフィリエイトの設定をして記事を書いたら翌月に1000円くらい収入があったんです。会社のお給料以外で自分の力ではじめて手にした報酬だったのでものすごく嬉しかったのを覚えています。
写真提供:立花岳志さん
立花:その過程でプロブロガーの方と初めてお会いする機会があったのですが、想像以上に豊かだったんです。これはすごい、情報発信だけで食べていけるんだと。
成功モデルが目の前にいるということは自分もちゃんとやればできる、やらなければと思いました。そしてその後、我慢できなくなって会社に辞職を申し出ました。でもその時点でブログの月収は2万円くらいだったんですよ。
ただ年齢的にも今やめないと、5、6年後の45歳にもう一度独立のパワーがあるかというとできないと思いました。
翌2011年3月末で勤務先の会社を退職して独立したのですが、その時点でのブログの月収は8、9万円しかなくて、ブログだけでは食べていける状態ではありませんでした。
金銭的には本当にかつかつの状態だったんですが、翌年2012年に最初の本である『ノマドワーカーの生き方』という本の企画が通り、セミナーにお客さんがきてくれるようになったり、電子書籍が発売されたり、そこから色々なことがまわるようになってきました。
ブログのアクセスも2011年末くらいから150万pvくらいまでいくようになってきて、そうするとアフィリエイトの収入もかなり多くなってきて、なんとか食べていける状態になっていったんです。
★立花岳志さんのブログ「No Second Life」はこちら(http://www.ttcbn.net/no_second_life/)
(次回へつづく)
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