宇宙の真理に根ざした「循環農法」で完全無農薬野菜を育てる百姓、なずなの会 赤峰勝人さんにインタビューを行いました。

赤峰勝人さん

赤峰勝人さんのプロフィール

1943年、大分県に生まれる。宇宙の真理に根ざした「循環農法」で完全無農薬野菜を育てる百姓。1986年、「なずなの会(オフィシャルサイト)」を組織し、なずな新聞の発行、問答塾、百姓塾、各地での講演を行い、自然の食べ物を通じて循環の大切さを訴え続けている。

著書には「ニンジンから宇宙へ」「ニンジンから宇宙へII」「循環農法」「アトピーは自然からのメッセージ」「百姓赤峰勝人の野菜ごはん」「ニンジンの奇跡~畑で学んだ病気にならない生き方」などがある。

「『土の生命、人の生命』循環のはなし」

(聞き手/デジパ:桐谷、カメラマン/中村將一)

桐谷

なぜ無農薬に取り組もうと思われたのかを、お聞かせいただけますか。

赤峰

百姓をしていて近代化学農法に行き詰っていた時、九州電力で長く土の分析をやってこられた米沢先生という方に出会いました。先生とのお付き合いの中で、「"完全栄養"にすれば農薬はいらない」というお話しを聞いて、その頃おぼろげながら農薬の怖さに気づいていましたので、それなら無農薬に取り組もうということで始めたのが昭和45年です。

それからしばらく、中途半端な無農薬農法をやって失敗を繰り返していたんですが、昭和50年に「複合汚染」(有吉佐和子 著)の主人公である奈良の柳瀬先生のことを知り、化学肥料も人体には毒なのだと知りました。そうして、化学肥料も使わないようにしていったのです。

そんな中、草だけの堆肥で作ったピーマンが見事にできちゃって。その時の畑の土を米沢先生に分析してもらったんですよ。そうするとその土が、先生が30年、3000点の土の分析を経てつかみ得たデータにおける理想の土の値とぴったり一致していました。このことで、超近代科学の分析からも化学肥料はいらないという結論が出ました。そうして化学肥料を一切使わない無農薬農法に本格的に向かい始めたんです。それからも、失敗をくりかえし、昭和56年に虫が害虫と思っていたが害虫ではないということに気がつきました。

無農薬に取り組んで12年の間に、まず草の大切さ、それから菌の大切さに気づき、そして最後に、虫は野菜が毒素を含んでいるその部分を食べている、虫は害虫ではないんだということをつきとめて、ようやく昭和57年に無農薬農法が完成されました。

インタビューの様子写真

桐谷

無農薬農法を完成されて平和な暮らしを送る予定だったのが、アトピーの人が来られたことによって、また新たな天命がやってきて、その次の転換が行われたということですが。

赤峰

はい。まず、無農薬農法を完成した昭和57年に、柳瀬先生の講演が奈良の五條市であるから来ないかと誘いを受けたんです。その時講演に足を運ぶには経済的にも苦労しましたが、それでも何とか行かなければの思いで出向いたのです。

あとで思えば、その後やらなければならないことが全てそこには用意されていたんですよ。その一つが玄米食、一つは「千島学説」(Wikipedia : 千島学説)、そして最後に、柳瀬先生が主催しておられた「慈光会」(オフィシャルサイト)です。慈光会の活動のひとつである安全な食糧を扱う販売所を見学させてもらったりして、こういう会をつくりたいなあと思いましたね。 結果的にはその4年後の昭和61年に「なずなの会」を誕生させるんですけれども、「なずなの会」を始めて3年くらいは平穏で静かで、大変しあわせな日々を送っていました。その間に、無農薬農法についてもいろんな検証をしていったのも確かです。

そんな時、突然畑に24歳の歯科衛生士と名乗る女性が現れて、「アトピーを治してください」と言ってきた。当時アトピーという言葉すら聞いたことがなく、ただ「大変なんだ、大変なんだ」と言っているんです。話すうちにそれが病気のことを指しているということが分かり、「それなら病院へいかにゃあ、わしゃ百姓やから」と言ったんですが、彼女は二十年以上病院に通って治らないと言いました。

当時、玄米食をすでに始めていましたから、玄米と野菜、沖縄のシママースを使って作る味噌、それから漬物、梅干。彼女に、まずはこれらだけで食事療法に取り組んでもらったんです。そして薬をやめるように言いました。

一週間後に彼女が現れた、その姿を見たときは正直ゾッとしました。顔中血だらけ、かさぶただらけで、生きた皮膚が全く見えない。どうしてこんなことを引き受けたのか、逃げられるなら逃げ出したいとさえ思いましたよ。でも、彼女の怯えた目を見て逃げられなくなった。

一週間に一回、場所を決めて会うことにして、その食事療法を続けました。すると、4週目に顔全体にあったかさぶたが半分ほどになって、3ヶ月後にはきれいな皮膚に戻っちゃった。

それから赤峰の人生の狂い始めなんですよ。(笑)

桐谷

狂い始めですか(笑)

赤峰

クチコミというのはすごいね、次々に重症のアトピーの人が来るようになってしまって。はじめた3年間くらいは怖かったんだけど、というのも、アトピーがうつるんじゃないかと思ってね・・・でも続けているうちにうつるものじゃないという事が分かって。

それから、無農薬野菜と名のつくものは世の中にいっぱいあるけれど、アトピーの人が食べられるものはなかなか無いんだなということも分かってきた。そのことをアトピーの人との出会いが与えられたのだと勘違いの中でやる気になって(笑)、それから積極的にアトピーの食事指導を始めました。

指導というのも、まず食事ノートを作ってもらって、食べたものを正確に記録してもらうだけです。ただし一品たりとも逃さないように。その中から、化学的なものを全て外していったんです。そうすると、みんな次々に治っていく。それを続けていたら、とうとうアトピーが出ている場所によって、食べているものの違いまで分かるようになっていきました。いつの間にかアトピー治しの専門家のように思われるようになってしまったんですよ。

桐谷

アトピーの炎症が現れている場所によって食べ物の違いまで分かるということですが、例えばどういう組み合わせがあるのですか?

赤峰

今、非常に輸入小麦が多いでしょう。例えばパンとかお菓子とか、そういう輸入小麦を使った食品を食べていると、首から口元の付近に小さくて真っ赤な発疹がでてくる。これはどうやら、粉の中にふくまれる化学肥料や農薬が疑われるということが分かってきました。肘の内側や膝の裏側に出てくるのは、肉、牛乳、卵の中に含まれる化学物質が疑われる。それから、上腕から背中の上部に黒い発疹が出てくるのは抗生物質とか風邪薬とか、そういう薬物の影響が考えられる。顔の中心はさつまいもに含まれる化学肥料や農薬。大豆やお米は目のあたりを中心に出てくる。頭は果物にかけられる農薬。手先、足首から先は養殖の魚を食べている人に多くみられる。合計約1万回の食事ノートを見ることによって、そういう傾向が分かってきました。そして、アトピーは病気ではなくて、化学肥料とか石油化学合成物質を体内に摂り入れることによって起こる"現象"だということが分かってきたのです。

私の所へ来る重症のアトピーの人、特に若い女性は、多くが自殺を考えていた。どうして私だけこうなるのか、と。これはいかんと思いました。自殺を考えている人が多いという事や実際に自殺者が出ている事を知って、「アトピーは自然からのメッセージ--今日から始める玄米・自然食」という本を書きました。

アトピーで苦しむ人々に食事療法を行っていくうちに、食べものというのはいかに大事かということを、またしみじみと知ることができましたよ。

インタビューの様子写真

桐谷

つぎに、塩についてのお考えを聞かせていただけますか。昔から塩を摂り過ぎたらいけないと言われ続けて、私もそのように教えられました。実際はどうなのでしょう?

赤峰

みんな塩を敵のように考えているけれど、塩は大切ですよ。何が大切かというと、塩の中に含まれている90種類以上のミネラルが、人体の中で"薬"をつくってくれるという事です。

昭和47年に塩田法という法が施行されて、日本中の人がナトリウム99%の「塩でない塩」を食べるようになりました。そのことがミネラル不足を引き起こし、様々な難病奇病が出始めたと考えています。

野菜やお米が化学肥料で作られるようになり、畑の中に有機物や草木でできたミネラルを多く含む堆肥が使われなくなりました。その結果、農作物もミネラル不足になります。それを補っていた塩までもがミネラル不足になった。国は各県に医大を作り、医師を多く作る事に取り組みました。けれども、アトピーにしろ癌にしろ、みんなミネラル不足が大きな原因になっていますから、病気というものではないわけです。だから病院では治らない。

それに対していろんな民間療法や様々な営利目的のものが出てきたのだけれど、そういうものにある意味騙されて最後に藁にもすがる思いでなずなに来られた人の中には、野菜代も払えないような方も何人か見えましたよ。弱みにつけ込むかのように、病人を苦しめはしても助けはしない。そういうことがずっと続いています。それが、なんということはない、野菜やお米の中のミネラル、お塩の中のミネラルが足りていないというだけのことなのです。

「塩を摂ったら血圧が高くなる」。海水塩で血液が正常になる人をたくさん見ていましたので、ある時、現代の医学の中で生きる人達に訊ねてみました。どうして塩を摂ったら血圧が高くなるのですかと。すると、「塩を摂ったら水分を摂り過ぎて血管を圧迫するから、圧が上がる」と言われました。

そうじゃないでしょう。血圧が上がる原因は、酸性食品にあるんです。砂糖とか肉とか魚、そして白米を摂ることによって血液が粘くなる。血液は人体60兆の細胞に変わるものですから、血液が送られないと細胞が死んでしまいます。酸性食品を摂り過ぎると血管は圧を上げて粘い血液を全身に送ろうとする、そのため血圧が高くなるということです。それを高血圧症という病気と捉えて、不要な薬をだし、その副作用でまた苦しむことになる。

塩はアルカリ性食品ですから、塩を摂ると酸性が強くなった体内が中和されて血液がサラサラになって血圧が下がります。海水塩であれば、低い血圧も高い血圧も正常になっていく、そんな大事な大事な働きをするお塩を悪者のように捉えてしまっている人が多いのです。だから病人が多くなるのは当たり前のことなんですよ。

インタビューの様子写真

桐谷

子どもの頃、私も祖母に怪我をしたら塩を塗っておけとか、夏に喉が乾いたら塩を舐めておけと言われた記憶があります。

昔の日本には、ものごとがきちんと循環していた社会がありましたが、戦後の塩田法や農薬化学肥料導入などによって日本は国力がなくなってきたように思いませんか?

赤峰

戦後の日本の経済中心で金儲けを目指していったことで全てが狂っていったのではないでしょうか。まず工業化を進めることで農村の人手不足が発生します。残っているのはじいちゃん、ばあちゃん、かあちゃんの「三ちゃん農業」といわれるもので、農家に実質働き手がなくなる状況まで追い込まれてしまい、農薬化学肥料や除草剤が導入されることによって人手をうかせて、その人手が更に農村の外に向かって出て行く。悪循環です。これは全て戦後の政策によるものなんですよ。だから経済成長経済成長と騒ぐのはやめて、我々が生きていくための"命の食べもの"をどうすれば生産できるか、その問題に早く国を挙げて取り組まなくては、そう長くないうちにみんな滅んでしまうと思っています。

桐谷

リーマンショックのあと、資本主義経済の行き詰まりや矛盾を感じ、私は南房総で循環型の村をつくるために食糧自給からはじめていますが、赤峰さんの「循環農法」という提言が私にとって大きなキーになっています。草が生える、虫が毒素を含んでいる野菜を食べる、草や虫が土に戻り栄養分を作り出す、そして次の芽が出る。すべてのものは循環しているということを感じながら、畑仕事に試行錯誤の日々ですが、赤峰さんのお考えになる「循環」について聞かせてください。

赤峰

無農薬無化学肥料農法を完成してから、ある畑仕事をしていた日のことです。間引いた1本の人参を見つめていた時に、ハッとして真空状態になったことがあります。その時に理解できたこと、それは、できるなら言葉にしたくないんだけど、あえて言葉にするならば、「すべては廻っている」ということです。

その「廻っている」ことの重要性を体感する中で改めて自然界を見てみると、「廻っていない」ものは必ず滅んでいっている。そしてこの自然界に存在するもので、いらないものなんて何も無いということに気づきます。全てが必要で、そしてそれがみんな循環しながら命をつなぎ合っているということです。

ウジ虫が汚いというけれど、ウジ虫がゴミを食べて土にして、循環させてくれています。虫たちも、我々が食べると毒になるものを食べてくれている。それが分かってからは、そういうものに敬意をこめて「神虫さん」と呼んでいるんですよ。みなさんがバイキンと呼んでいる菌も、循環の担い手ということが分かりましたから、「神菌さん」です。そして草は、四季折々のすべての土づくりの主役なのです。生えている草は、その土地に足りないミネラルを補うための使命を持っていますから、草の循環を手伝うというのは百姓の一大仕事なんです。

桐谷

最後に、「なずなの会」の取り組み、目指すところについて聞かせてください。

赤峰

まず"なずな"という会の名ですが、なずなの花言葉は"すべてをあたなに捧げる"というものです。我々は、自然界からすべてをいただきながら、ともすれば自己中心的になってしまう。そういうものを戒める意味で「なずなの会」とつけました。

このまま我々が進んでいけば、世の中は必ず滅んでしまいます。世の中、というか人ですね。それに気づいた者の務めとして、なずなの会を立ち上げて、一人でも多くの人に、自然の大切さ、循環の大切さを知ってもらい、そして健康な人がひとりでも多くなることを願いながらなずなの会の活動を続けています。

桐谷

今日はお忙しい中ありがとうございました。

※インタビューに掲載されている企業・団体様の活動と弊社は一切関わりがございません。

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