インタビューを行った株式会社studio-L代表 山崎亮さんは、「人と人とをつなげる」コミュニティデザイナーとして、地域の課題を地元の住民たちが解決するためのまちづくりワークショップや、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、市民参加型のパークマネジメントなどに関するプロジェクトに携わっています。

山崎亮さん

山崎亮さんのプロフィール

株式会社studio-L代表/東北芸術工科大学コミュニティデザイン学科教授/慶応義塾大学特別招聘教授

1973年愛知県生まれ。
「人と人とをつなげる」コミュニティデザイナーとして、地域の課題を地元の住民たちが解決するためのまちづくりワークショップや、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、市民参加型のパークマネジメントなどに関するプロジェクトに携わっている。
「海士町総合振興計画」や「マルヤガーデンズコミュニティデザイン」等、数多くのプロジェクトを手がける。
主な著書に『コミュニティデザイン(学芸出版社)』『ソーシャルデザイン・アトラス(鹿島出版会)』『コミュニティデザインの時代(中公新書)』『まちの幸福論(NHK出版)』などがある。

何かつくるわけではないけど、
みんな集まってください

(聞き手/デジパ:桐谷、木下)

桐谷:著書やメディアを拝見して、さまざまな切り口があって非常におもしろかったのですが、「未来のつくり方」という点で、どのようにして山崎さんのような方が生まれたのか、というところをお聞きしたいです。最初はランドスケープデザイナーとして、建築系の会社に入ったところからはじまったと伺ったのですが、その辺りからお話をお願いします。

山崎:もともと大学で農学部に入り、その中で植物を利用してまちをデザインしていくという分野があることを知って、かっこいいんじゃないかと、デザイナーになりたいと思ってランドスケープデザインを学ぶことにしました。大学院まで勉強して、そこで庭や公園をデザインする人は建築のデザインがわかっていないと、間の空間デザインはできないんじゃないかと思ったのです。例えば縁側はどちらがデザインするのか、など。両方からデザインすればよりいいデザインが世の中に提示できるんじゃないかと思い、就職するなら建築設計事務所がいいのではと思いました。
何人か設計者を見ていくと、アメリカで修行してきたというすごい先生がいたのでその設計事務所の門をたたいたのですが、入ってみたらその先生の奥さんがワークショップや住民参加をどんどんやっている人で、入ってすぐワークショップなどをする部隊に入ることになりました。それが6年間くらいです、設計の仕事をやりながらワークショップの仕事も両方していたのですが、屋内と屋外、建築と造園をつなげようということよりも、そもそも専門家だけでデザインしてしまっていいのかということが疑問になってきて、むしろ将来その施設を使うであろうユーザーと専門家とが一緒にデザインを考えた方がいんじゃないか、そう考えるようになりました。
その事務所では必ず設計するときにはワークショップをして、住民の方々の意見を踏まえたデザインにしていこうとしていったのです。ただ次に問題になってきたのは、そういう参加のしかただと設計図面が出来上がると、参加してもらわなくてもいいということになるんです。こんな図書館を建てます、だからみなさん集まってくださいと、10回くらいディスカッションして、設計ができると、みなさんお疲れさまでしたとバラバラになってしまう。これが非常にもったいないなと思ったんですね。この人たちと一緒に何かしていきたいなと思っていても、建物の設計が終わったらみんないなくなってしまう。だから「何かつくるわけではないけど、みんな集まってください」って声をかければ、終わりがなくなるんじゃないかと。
設計するから集まってくださいというのではなく、自分たちのまちの面白いところをみんなで調べましょう、自分たちのまちが困っているところをみんなで話し合いましょう。話し合う中で自分たちが活動する事でまちがちょっとでもよくなるんだったら、その活動をみんなでしませんか、ということを考えるようになって。そうすると、ワークショップに終わりがなくなり、まちづくりの活動にも終わりはなくなるかもしれないと思ったんです。

デザインの力をつかって人と人をつなぎ、
そしてその力をつけた人たちが
地域を良くしていく

山崎:ただ設計事務所でそれをしていくのは難しくて、お仕事を依頼される場合には、設計の仕事を頼まれてしまうので、そこから独立して、カタチをつくるデザイン事務所じゃないという設計事務所を作らないといけないと思い、2005年、ちょうど10年前に、studio−Lという事務所を作りました。そこは人と人をつなぐ会社、デザインの力をつかって人と人をつなぎ、そしてその力をつけた人たちが地域を良くしていく、それをサポートする会社で、ものづくりの会社ではないと、自分の会社を立ち上げました。ただ、人と人をつなぐ会社というと非常に怪しい(笑)当初はやはり仕事が全然無くて、設計の下請けなどのお手伝いを2年くらいやっていました。徐々に地域の人たちと活動していくことが、行政にとっていいということがわかるようになってきて、福祉タクシーを走らせる人がでてきたり、お誘い屋さんといって、地域の独居老人の方を誘って、一緒に何かやりましょうというチームができたり、こういう人たちが生まれるのなら発注したいな、仕事頼んでもいいのかなと行政の人たちが思ってくれるようになりました。2007年くらいからだと思います、ちゃんと仕事としてできるようになってきたのは。

インタビューの様子(山崎亮さん)

桐谷:コミュニティデザイナーという日本には存在しなかった新しい職種を、第一人者として山崎さんがつくっていっているわけですが、その中で興味深いのが、自分たちは5年なら5年と期間を決めてワークショップでやり方を教えて人選をして、コミュニティができあがったら去っていくという考え方が非常に斬新だと感じたのですが、それはどのような流れだったのでしょうか?

ぼくらは3年しかいません

山崎:我々が地域に入って解決して去っていくだけだと、コミュニティが自分たちで自分たちの地域のことはなんとかしようと、問題解決する力が育たないというのが最初の問題意識としてありました。もしそうだとすると確かに地域に出向いて僕らのできることを伝えて教えるんですが、自分たちがまた来年も来る、ということになると、地域の人たちの吸収しようという力、学習能力が弱まる気がしたんです。
ぼくらは3年しかいません、3年たったらこのまちからいなくなりますから、その間にみなさんが僕らと同じことをできるようになってくださいね、と言わないといけないと思ったんです。行政が僕らに発注してさえくれれば、ずっとこの人たちはいてくれると思ったら、地域の人たちはあまり勉強もしなくなってしまうかもしれないし、自分たちから動き出さなくなってしまうかもしれないので、期間を区切ってやった方が住民の方々が本気になってくれるんじゃないかと思ったのが背景です。

桐谷:アメリカで成功しているグーグルの創設者ラリー・ページ氏や、Amazonの創設者ジェフリー・プレストン・ベゾス氏は、彼らは「教えられない教育」を受けてきていると聞きました。それはモンテッソーリ教育を受けてきていて、その中で、自分たちでやり方を作り出していくという。だから山崎さんのお話を聞いていると、やり方はワークショップを通じて教えるけれど、あえて先生にはならない、そういうところが特徴だと思ったのですが。

山崎:そうかもしれないですね。「おなかをすかした人に魚を与えるのではなく、魚の取り方を伝えるべきだ」という言葉が好きで、おなかをすかした人に魚を与えてしまったら、またおなかが空いたら魚をちょうだいと言われてしまうので、魚の取り方をどのように伝えていくかというのが大事になる。「教える」というのは、「困ったから解決策を教えて」と言われて教えて、魚をもらうという意味ですよね。それは一時的には上手くいくんですが、また社会が動くと別の問題が出てきて、そしたらまた教えて、という状態になってしまう。
そうではなくて、社会の問題の解き方、解く姿勢、そこで試行錯誤しなくてはいけない、事例をいっぱい勉強しなければいけないし、自分たちで試行錯誤していかないといけないんだよということが伝われば、次の課題も自分たちで乗り越えていけるようになるだろう、そういう気持ちがあるのかもしれないと思います。

積み木をどんどん足していって、
本人がやりたいと思っている環境を整えていく

山崎:僕はモンテッソーリ教育というのはすばらしい教育だと思っています。自ら解決策を見つけ出していく、そしてその人が集中していることを、ずっとやり続けることができる環境を整えるっていう方法ですね。だからその人が積み木をしているんだったら、積み木をどんどん足していって、本人がやりたいと思っている環境を整えていくという教育のしかたがすばらしいと思ったのです。実家に戻って自分の母親にモンテッソーリ教育というのがあるということを話したら、自分が通っていた幼稚園がモンテッソーリだよって言われて、初めてそこで自分がその教育を受けていたことに気づいたんですよ。

桐谷:本当ですか?すごいなあ!

山崎:そうなんです。だからモンテッソーリを知ったときフィットしたんでしょうね。でも自分は幼稚園の名前しか知らなくて、教育がどうというのは大学生になるまで知らなかったのですが、言われてみれば時間割はなかったんですよね。
自分が幼稚園のとき、絵本を真似て友達とぐるぐる走り回って遊んでいたんですよ。それが楽しくてずっと回っていたら、先生も自分たちを回っているままにさせるんですよね(笑)自分たちでやめるまでとにかく回らせる。積み木がおもしろくて集中している子がいたら、その積み木にちょっとずつ新しいものを足していってもっと積んでいくとか、時間割で区切るのではなくて今その子が集中して目を輝かしていることがずっとできるようにサポートしていくという教育のしかただったということを思い出したんです。
小学校に入って授業が楽しくなってきたときに、次は算数の時間って区切られてしまって、それがすごく気持ち悪かったのを覚えています。でも他の子たちは心の入れ替えがとてもうまくいっていて、僕だけが今これをしているんだからこれをやりたい!って思ったのをはっきり覚えているんですよね。
地域の方々にも、自分たちがお金をだしてやりたいこと、集中してやりたいと思っていることをまず軸に据えましょうと話しています。地域の課題を楽しく解決していきましょうと言っているのですが、地域の方々は、課題が何なのか、これを解決するためにはどうすればいいのかを眉間に皺寄せて議論をしていて、これではあまり楽しくないですし、正しいことをやり続けるだけでは仲間は増えない。だから正しいことと楽しいことをどういう風にバランスさせるか、それがとても大事だと思っています。やはりその楽しさ、美しさと言ってもいいと思うのですが、人々が共感してくれる部分がないと地域の活動というのはなかなか前に進まないという気がしますね。

桐谷:5年前に自分がもう一つの居住地を探すとき、ポイントはコミュニティと教育というのがありました。結果南房総に居住地を増やすことになりましたが、もう一つの候補であった長野県の安曇野もシュタイナー教育やモンテッソーリ教育の幼稚園があったりと、非常に意識が高い地域だと思いました。実は南房総でも、鴨川周辺は地域通貨「awaマネー」があったりして、そういう意識の高いコミュニティを選んで移住したのですが、やはり二拠点居住は非常にいい感じです。
田舎からみたら自分はヨソモノなわけですが、5年も住んでいると色々助けてほしいと言われることも多くなって、廃校をリノベーションしてほしい、という話がきたりするんですよね。そういう意味で、ヨソモノ視点、田舎に染まりきらなことも大事だなと最近思い始めています。

山崎:そういう意味では僕も同じかもしれないですね。
多拠点居住というか、大きな荷物を下げて、大阪の自宅に帰って息子たちに会うのは一ヶ月に5日くらいなんですよ。それ以外の25日間はずっと違うところにいる、3日とか2日ずつ違うところにいるという生活ですからね。

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※インタビューに掲載されている企業・団体様の活動と弊社は一切関わりがございません。

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