インタビューを行ったgift_(ギフト) 後藤寿和さん・池田史子さんのおふたりは、空間や家具のデザインや広い意味での「場づくり、状況づくり」の企画を行う傍ら、2012年、縁あって新潟・十日町市松代に「山ノ家カフェ&ドミトリー」の運営や、東京・松代でのダブルローカルライフを実践中です。

gift_(ギフト) 後藤寿和さん・池田史子さん

gift_(ギフト) 後藤寿和さん・池田史子さんのプロフィール

2005年、後藤寿和・池田史子により設立されたクリエイティブユニット。
空間や家具のデザインや広い意味での「場づくり、状況づくり」の企画を行う傍ら、2012年、縁あって新潟・十日町市松代に「山ノ家カフェ&ドミトリー」をオープン。
現在東京と松代でのダブルローカルライフを実践中。
2014年秋に東京の拠点を恵比寿から清澄白河に移し、東京都現代美術館にほど近い築80年の古ビル1階に「GARAGE Lounge&Exhibit」をオープン。
都市と山間部、ふたつの場所を行き来しながらさまざまなプロジェクトを紡いでいる。多拠点に暮らし、働くという新しいライフスタイルのかたち。

引き受けたからには、
これから自分たちも
東京とここを行き来することになるだろうし
もっと行き来する仲間を増やせたらいいなと思った

(聞き手/デジパ:桐谷、木下)

桐谷

「ダブルローカル」というのは池田さんの言葉なんですね。

池田

そうですね、自然にぽろりと発した言葉でしたが、おもしろい、と拾われてしまって。でもその言葉がいい意味で一人歩きしていてそれも嬉しいことですよね。

インタビューの様子(池田史子さん)

桐谷

私はリーマンショックをきっかけに田んぼがやりたいと思い、沖縄から長野県まで日本全国探したんですよね。生きていくことが楽チンそうだったので南房総を選んで、それで二拠点居住を始めたのですが、お2人が山ノ家に拠点を持つきっかけはなんだったのでしょうか?

池田

2011年の初夏、つまり3.11の大震災からおよそ3ヶ月後というタイミングに、その当時オフィスがあった恵比寿で、恵比寿在住・活動中の人たちをネットワーキングして、新しい地域文化祭を作ろうという動きに参画しているときに知り合った映像作家の知人に誘われて、新潟の里山の空き家をなんとかしてくれというオファーがあるのだが協力してもらえないかと頼まれて、その、後日「山ノ家」となる日本有数の豪雪地帯である十日町市 松代地区の商店街の空き家を見に行ったのがそもそものきっかけです。

後藤

2011年の大震災の後、やはり東京が不安定な状況になったのを目の当たりにしたことと、震災以降東京から地方に、あるいは海外に出て行く友人が何人かいまして、ちょっと落ち着かない状況というか、東京にこのまましがみついていることが本当にいいんだろうか、という風にふと疑問に思うような時期がありました。ちょうどその頃、その空き家の話があって、大地の芸術祭が行われているエリアの空き家、おもしろそうだなと思って、おそらく2、3年前なら足が向かなかったかもしれませんが、ちょっと行ってみようかということになりました。

池田

私たちは当初デザインとかコンセプトのお手伝いのつもりだったんですが、2、3ヶ月話をききにいっていると、どうやら私たちに事業者になってほしいというお話だったんですよね。
最初はえっ?という感じでしたが、紆余曲折があって結果的に私たちがやることになりました。その決断の根底には、都市にだけしがみついている生き方が21世紀型の生き方じゃないんじゃないかという思いがずっとベーシックにあったのでしょうね。
そして、じゃあここで何をやるの?となった時に、引き受けたからには、これから自分たちも東京とここを行き来することになるだろうし、もっと行き来する仲間を増やせたらいいなと思ったので、ローカルにシェアハウスを作るような心づもりで、寝る場所と食べる場所をつくっておけばよいのではないかという発想で、一階をカフェに、2階を寝泊まりできる場所にしようということになりました。

『ヨソモノで居続ける』っていう感覚が
僕らの大事なポイントだと思っています。

桐谷

二階はゲストハウス的な感じですか?

後藤

我々はドミトリーと呼んでいます。通常の自炊型バックパッカースタイルのいわゆる「民宿」にするつもりはなくて、相部屋スタイルではあっても、良い意味でのホテルライクな快適な機能を持つ宿泊施設と、階下に降りてくれば食事ができる気持ちのよいカフェがあるというかたちにしたかったのです。水回りの設備などは共用のカジュアルな宿泊施設に、カルチャー発信ラウンジとなり得る飲食施設を併設している、米国のACE HOTELのようなスタイルをイメージしていました。

池田

階下を宿泊者のみが集う場所ではなく、外部に対しても開かれた「カフェ」にしてよかったなと思うのは、意外にも、地域の人たちもたまり場にしてくれたことです。
地域のお父さんたちが会合のあとにちょっと一杯お酒飲みにきてくれたり、お母さんたちが誘い合ってわいわいとお茶会を気軽にしてくれたり。そして都市圏からの宿泊者や滞在中のアーティストさんたちと自然に盛り上がってくれたり。正直言って、都市生活者が里山に来るときの拠点というイメージで内装やメニューをプランしていたので、地域の方々の利用はハードルが高いのかなと危惧していたので嬉しい驚きでした。すごくみんなオープンハートなんですよね。ヨソモノにとても寛容なお土地柄でした。

後藤

実は、この、「ヨソモノで居続ける」っていう感覚が僕らの大事なポイントだと思っています。

桐谷

「ヨソモノで居続ける」ですね

後藤

はい。その土地に移住する事が悪い事ではもちろんないんですけれども、完全移住=定住するということは、よくもわるくもそこの土地の人になってしまうというのがあると思うんです。 僕らはいつも、新しい視点を作っていくということが役割だと思っているので、その点において、ヨソモノで居続けるということを、何の迷いもなく選択しました。だから、これまで拠点として来た都市を捨てて、里山に完全に定住するという「移住」だったらしていなかったと思うんですけれど。東京でもそのまま活動を続けて移住もしません、だけど里山でもきちんとやります、というやり方でなんとかやってみようと、そうしたライフスタイル自体を自分たちのひとつの実験と言うか、プレゼンテーションとして、人に見せてあげられる形を作っていくことに意味があるのかなと思って始めたわけです。

インタビューの様子(後藤寿和さん)

半移住スタイルを、
2つの地元を同じ重さで暮らして行く
『ダブルローカル』と称したのに次いで
最近、『複眼生活』という言い方も提唱しています。

桐谷

新潟にはどれくらいのペースで?

池田

月の半分は新潟です。今は地元の方に声を掛けていただくことが増えてきていて、山ノ家をやりながらも、地元のプロジェクトのサポートをしたり、一緒に新しいプロジェクトを始めたりもしています。

後藤

それは地元の人たちが、私たちが3年近くやってきて、この人たちは「居続ける人」なんだということ、だけどヨソモノでもあるという両方であることをようやく認めてもらったのだと思います。だからこそいろいろ相談に乗ってもらえませんかと、その視点をぜひ活用してもらえませんかと相談してもらえるようになってきた、ということが最近起きているのかなと。

池田

そうですね。この半移住スタイルを、2つの地元を同じ重さで暮らして行く「ダブルローカル」と称したのに次いで、最近、「複眼生活」という言い方も提唱しています。

桐谷

「複眼生活」ですか?

池田

東京の、いわゆる都会の人でもあって、里山の人でもあるということ。 都市生活者としての視点も持っているし、里山生活者としての視点と、2つの視点を持って暮らしているんです。だから山ノ家から東京に戻ってくると、東京のいいところがあらためて目につくわけです。
逆はもちろんで、東京から山ノ家に戻ると、里山のいいところも毎回よくわかって、ずっと新鮮な視点を持ち続けられるんです。 完全移住してしまうと、身も心も里山の人になりきってしまって、よくもわるくも里山の人の目線や気持ちでしか物事を考えられなくなってしまう。 100人いたら100人の生き方があるわけです。それぞれどういう生き方を選択しようとありのまま受けとめて、それなりに、何がシェアできて、何がシェアできないのかということを見極めていけばいいんじゃないかと、行き来していると思うのですが、そういうどちら側の良さも分かち合えるような視点を持てるといいなというのが「複眼生活」。

桐谷

なるほど、田舎に染まらないということですね。

後藤

僕らが複眼生活をやることによって、田舎のいいところ、都市のいいところ、逆によくないところも両方見えてくるのですが、どっちも否定しないという考え方、それが一番大事なことですね。

何かが起これば、
それはただの起こったことでしかなくて、
それに対してどう対応していこうかな、
ということしか考えない。

桐谷

地方に移住して馴染めずに戻ってくる人のケースをよく聞くのですが、そういうご苦労はなかったですか?

池田

ないんですよね、鈍感なだけかもしれないんですけれど(笑)

一同

池田

山ノ家の立ち上げを強力にサポートしてくださった、地元の地域活性化のリーダーシップをとっている若井さんの力も大きかったですし、私たちはヨソモノで何もわからない、だから教えてください!と最初から素直にパタパタと白旗を掲げていたので、地域のみなさんも、出来の悪い生徒に、まったくしようがないな、教えてやるか、という感じで、さまざまな局面で助けてくださいました。

後藤

白旗を振られて僕らを助けていること自体が、周りの人たちにとっても、良い意味で一つの生き甲斐になるというか、持ちつ持たれつ、そこでバランスを保てたというのもあったんじゃないかと思います。 あとは、やはり、半移住というスタイルがよかったんだと思います。本当に困ってもどちらかがあるっていう安心感がありますよね。 完全移住者となって、もうそこだけで生きて行くしかないとなると行き詰まることもあると思うのですが、まあいいや、ここだけじゃないと思える、切り替えができるから、どちらの日常も保てているのかなと。
もうひとつ思うのは、この半移住生活が、アクシデントというかハプニングとして始まったおかげで、最初からある一定の堅固なビジョンやゴールを掲げていったわけではなくて、走りながら考えるというスタンスでやり続けていたこと、こうでなければならないという理想像に縛られないということも、続けていられる要因だと思いますね。
たとえば、田舎に移住して農業を始めるぞ!というようなケースで、農生活に対する強い憧れとか、こうあらねばというイメージが事前に強くありすぎると、現実がそれとは違ったときに、なかなか心の切り替えができないのかもしれないですね。

池田

何もないところで始まっているので、憧れや理想のかたちとか、失望するべき対象が何もないわけです。何かが起これば、それはただの起こったことでしかなくて、それに対してどう対応していこうかな、ということしか考えない。何かにおいて、気持ちをくじかれるということがまずないわけですね。

後藤

自然環境そのものがそういうものですよね。いつも晴れてくれる訳でもないし、雨が降ってほしいときに降ってくれる訳でもないし、思い通りにいかない環境が、こういう気持ちを思い出させてくれるっていうのがあるのかなと思います。 あとはその土地や人に対するリスペクトを大事にしながら、ですね。

私たちのルールがひとつあるとすれば、
いい意味で自分たちが楽しめるというのが大事です。

桐谷

私は今、南房総で廃校の活用を考えてほしいっていうリクエストをもらったりしているのですが、松代にしても清澄白河にしてもそうですが、アートを通じた地域活性にも興味はあるのでしょうか?

池田

私たちは、デザインをなりわいとしていて、現代アートも好きですし、これまでも、縁あってボランタリーな仕事として、街そのものをアートやカルチャー発信交流の「場」にコーディネートしていくプロジェクトにいくつか関わってきたのですが、いわゆる地域活性のみがゴールであったり、それ自体を本業にしたいとはあまり思っていないんです。自分たち自身が面白いと思えることをやり続けていたら、その副産物として地域が元気になった、それはそれで素敵なことだねっていうスタンス、考え方です。どちらかというと目的というよりは結果として、そういうサポートができちゃっているな、という感じです。

後藤

先ほどの移住の話と同じで、地域を活性化させるということ自体を目的化しなくても良いんじゃないか、と思っている訳です。

池田

私たちのルールがひとつあるとすれば、いい意味で自分たちが楽しめるというのが大事です。
これをやらなくてはいけないんじゃないか、という風にやっていくとやはり心がくじかれてしまうと思うんです。たとえば、山ノ家でも地域の棚田保全のささやかなお手伝いとして、田んぼの手伝いをしてみたいという人たちに声を掛けて集めて、2、3人を保全のチームにまわしてあげたりするのですが、まわしてあげられる週もあればできない週もあるわけですね。
それを毎週必ずっていう義務になってしまうと大変ですよね。できる人がいたらまわすねっていうスタンスでやっています。頑張りすぎないこと、自分たち自身が楽しいと感じていられる範囲でやることが大事。 自分たちが地域活性の要になるんだ、と思いこんだりするとくじかれてしまうんじゃないかな。結果そうなっていればよいのです。

後藤

そしてそれがいかに長く続くかということが大事で、一番優先順位が高い。
そのために無理しないということが、必然になってきます。
ゴールの設定に縛られないということも一つですし、アートには土地を見つめる視点、見抜く力があるのですごくいい媒介になる。それがアートのすばらしいところでもありますよね。

池田

どれだけ自然の流れにのっていくかが大事で、人為的に仕掛けようとしてしまうとうまくいかないんじゃないかな、と思いますね。近年、日本各地で、アートで地域活性化というプロジェクトがたくさんありますが、すべてがうまくいっているわけではない。つくっていく人たちが無理のない自然の流れで、自分にとって気持ちのいい場所、居心地のいい場所を見つけて、そういう動きを起こしていくこと、それが上手くいけば成功しますし、単に外部から仕掛けられたものだったり、無理がありすぎたりするとなかなかうまくいかないでしょうね。

外観

内観

桐谷

自分にとって気持ちいいのは大事ですよね。
最近人為的にやっているところはものすごく失敗している感じがしますよね。

後藤

いかに続けるか、ということと同じで、成功や失敗で区切ったり、ゴールを作ることに無理があるのかなと思いますし、何かを成功させなければならないというのがベクトルとしてあったと思うのですが、やはりそこの部分を、いかに続けるかとか、偶然と必然を混ぜ合わせてどう変わっていくかということに置き変えていくことが大事なことだと思いますね。

池田

そして、「ダブルローカル」というライフスタイルを通して、それで過疎化が少しでも緩和すればいいと思っているんです。ダブルローカルが実践できるのは、比較的フリーランスに近いフットワークよく動ける仕事の人だと思うので、そうした層の人たちから二拠点、多拠点で暮らし、それぞれで仕事もするという動きが活発化いくのかなと思っています。そうすることで完全移住はしていないし身体は一つだけれども、自分の分身をつくるという発想で、2つのローカル(=地元)で、それぞれの場所で一人の人間として生活も仕事もしているという人たちがどんどん増えて行く。こういうかたちで自分を増殖することで、物理的には一人の人間であったとしても、状況として地元人口を増やせるんじゃないか、過疎化も少しは緩和できるんじゃないかと思っています。 より多くの都市生活者が自分自身は一人なんだけれども、生活もし、仕事もする場としての「地元」をローカルに増やすことで、いろんな地域を、複数の地域を元気にできるんじゃないかと思いますね。

『地元』をローカルに増やす

桐谷

ローカルに増やすって面白いですよね。

池田

今の若い世代の人たちもこうした視点の変換について軽やかでポジティブですよね。
現在の状況に全然悲観していなくて、時代がこうなればこういう生き方もできるじゃないかという、非常に頼もしい感じがありますよね。山ノ家をやっていると、若い人たちがたくさん泊まりにくるので、よくお話をするのですが、今の若い世代は自分の大学時代を思い返すと、考え方も視点も違ってきているんだなと実感します。

桐谷

これから、どういう未来を描いていますか?

池田

私たちもそれが長所であり短所でもあるんですけれども、行き当たりばったりなんです(笑)。
よくいえば、来るものを拒まない。未来はもちろんあるのですが、自分たちで意図的に造形しない方がいいと思っています。それが私たちの未来像です。
勝手に自分たちで造形してしまうことで、型通りにいかなかったことで、人は多分失望してしまいます。だから来る未来に対して、自分たちがどうポジティブに対処していけるかが私たちの未来なんですよね。 地域移住の話で出たように、上手くいかないのは変な理想像があるからだと思うんです。だから未来に対しても、現在に対しても、理想像をガチガチに作らない。
それを作り過ぎてしまってその通りにいかなかった、というのは身勝手な失望だと思うんです。もうちょっと型にはめないで、本当に相手の自由とか生き方とかを尊重してあげることが明るい未来につながるのではないでしょうか。

桐谷

理想を持ちすぎて移住してしまうと、自分の型に縛られるということですね。

池田

そうですね。自分も縛るし、自分と対峙する人も縛ってしまうんです。そういうものを必要とする人もいますが、それを人に押し付けてはいけないと思うんですね。
お互い認め合ってリスペクトすることで、現在も生き生きとしますし、未来も明るくなると思いますね。だから理想の未来像はつくらないです。
誰かに迷惑をかけない範囲で、自分が楽しいと思えることを選択していく。とにかく相手、来るものを認めていくこと、それが大事だと思いますね。地域活性が成功するのも、未来が明るくなるのもそれに尽きると思います。縛ったり否定したりしないことが、新しい何かをつくっていくことに繋がるのではないでしょうか。

後藤

二拠点生活も一つのきっかけでしかなくて、そこから本当にいろいろ広がることがありますし、カフェひとつをとってみても、カフェをやること自体が目的ではなく、それを通じて色々なことがそこで起こるということ、きっかけや手段を作っているんです。そういう視点で、常に何かを作り続けていくことが我々の未来だと思いますね。

池田

そうですね。先ほど複眼生活という話をしましたが、私たちがずっと大事にしてきたテーマが「視点の変換」なんですね。私たちがずっとgift_(ギフト)というクリエイティブユニットとして活動してきた生き方とか、ものの見方とかは、「視点を変えたらこうなった」っていうのに尽きるのかなと思っていて、それがたまたま里山を結果的に元気にしていたらしいというのがあるんですけど、この先どこに行くんだろうというのはまだわからないですね、第3フェーズもありそうだなって思っているんですけど(笑)

桐谷

第3フェーズがありそうですよね。

後藤

まわりの人も、自分たち自身も、予期していなかったところにいくかもしれないですね。できればそれが単なるレアケースではなくて、もっと次世代のスタンダードとして広がっていくといいなと思います。

桐谷

ありがとうございました。

後藤・池田

ありがとうございました。

※インタビューに掲載されている企業・団体様の活動と弊社は一切関わりがございません。

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