この文章を誰かが読んだときにどう感じるかを意識しながら表現することは大切なことだと思っています。

先日つけていたテレビの夜の天気予報番組での一幕。木曜日だったでしょうか。

「今日の日中は久しぶりにとてもよく晴れた天気で、たまっていた洗濯物もきれいに片付いて気分もすっきりしましたよね」

だいたいこのようなトーンの話の内容だったと思います。妻とテレビを見ていたのですが、これを聞いてふたりとも同じ意見を表明。「なんでやねん」。

その人(女性アナウンサーの声のみで、顔はわかりませんでしたが)は、その昼に洗濯をし、ずっとこれまで曇りがちのためにたまっていた洗濯物を洗うことができたのかもしれません。でも、世の中みんなその昼に洗濯できたわけでもなく、「気分もすっきりしましたよね」と同意を求められても、「そりゃあなたはすっきりしたのでしょうが」と返すのみです。

その日、晴れていても、みんなが洗濯できて気分すっきりになったわけではない。

仮に、「すっきりした人も多かったのではないでしょうか」といった感じでモデレートされた表現であれば、特に違和感は感じないでしょう。天気予報の原稿を誰が準備しているのかはわかりませんが、自分の感情は世の中一般の人とは共通ではないのですよという認識は持っておきたいところです。

ビジネス界でも、ブログを使って担当者などが情報発信することが多くなってきました。これまでは文章などの表現のレベルはある程度どこかでコントロールされていましたが、そのような部分が結構曖昧なままのところも多いと思います(ただ、だからこそおもしろい面があるのも確かです)。

インターネットの利用歴が長いと、どうしても逃げ道を残した表現が多くなってしまって、明確な意見を避けてしまいがちですが(自戒)、それでもやはり、この文章を誰かが読んだときにどう感じるかを意識しながら表現することは大切なことだと思っています。

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