デジパ創業時メンバーで、働く場所を会社の外に移した最初のパートナーでもある渡部に今のライフスタイルとそれまでの経緯を語ってもらいました。

渡部 忠デジパ創業時のメンバーでパートナー第一号。デジパでディレクターとして数々の案件に携わりながら後進の育成にもあたる。その傍ら個人のデザイン事務所でも地域のための幅広い企画・デザインを展開中。

オフィスの外に出て働くこと

今から8年前の2005年8月に、会社にも通いやすかった吉祥寺から神奈川県三浦郡葉山町に引越しました。その頃はまだいつも通り出勤して会社で働く社員でした。

2005年の6月に、ふと、
「週末くらいは完全に仕事と切り離した暮らしがしたいなぁ、鎌倉にでも物件を見に行ってみよう。」
と、思い立ち、次の週末には鎌倉へ向かいました。鎌倉駅の東口に出て何もわからず小町通りを歩いたのですが、その人の多さにびっくりして、これは都内と変わらないぞと鎌倉で住むのはよそうと決断してしまいました。(住み慣れると、鎌倉最高なのですけどね。)

そのままきびすを返してJRに乗り直し、もうひとつ先の「逗子」駅の不動産屋を訪れました。

そこで案内されたのは「サーフ葉山」というそれまたその通り!という名前のアパート。

「広っ!」

普通の給料・普通の暮らしの僕にとっては、12畳のリビング・キッチンと、6畳・6畳ずつの2部屋、リビング一面に広がる窓とその向こうの森は、別世界のように思えました。

当然家賃は相当のものだろうと思ったところ、駐車場1台込みで10万円になるとのこと。いままではそれ以上の家賃でもっとコンパクトな部屋で暮らしていた僕には、十分に納得のいく内容でした。(実はその後それ以下の金額で戸建物件がたくさんあることを知るのですが...笑)

その後、心が決まったらお電話しますとお伝えし、海を見てみたいからと、歩いて近くの海まで行ってみることにしました。石の階段をくだり、眼前に広がる海を見て、大げさではなく一瞬で「あぁ、ここに住んだ方がいいな」と思いました。そのとき、今までと変わることで起こる様々な問題は、ひとつも頭に浮かんでいませんが、心がほどけたから、ここに住もう。それだけで、不動産屋に契約の電話をしていました。

始まった葉山暮らし

葉山への引越しを翌月に控えた僕は、新しいライフスタイルに変化させるチャンスだと考えて、生活と仕事に支障がない程度まで、あらゆる持ち物の断捨離を行いました。

これから葉山で過ごす日々の中で、その頃から好きだった無骨な無垢材の家具にインテリアをゆっくり統一していく目標を立て、イメージに合わないものをとにかく片付け、翌月の引越しをとてもシンプルな状態で迎えることができました。

それでも引っ越したばかりのアパートはとても広く、家具だけではなかなか格好がつかずに、色々思案し、どうにか植物をかっこ良く配置できないものかと考えていました。

デジパには、音楽と植物に精通したとても親しい年上の同僚がいて、インテリアの趣味も驚くほど似通っていたので、葉山の部屋とベランダに飾る植物を見繕って!とお願いしました。その友人とはのちに葉山町で一緒に「すこし高台ショップ」をすることになります。

新橋で仕事モードON、大船あたりで仕事モードOFF

引越しをしても、デジパに朝9時に出勤することは変わりません。(当時のオフィスは溜池山王にあり、9:00が定時)

葉山からは逆算して朝7時に家を出てバスに乗ります。朝の海側を走るバスから見える景色に何度も力をもらい、JRの逗子駅に着いたら、新橋まできっかり1時間。ここで仕事モードに切り替え、銀座線に乗り換えてオフィスのデスクに9時前に座っているという毎日でした。

帰りは溜池山王から新橋でJR横須賀線に乗り換え、吊革につかまりながら揺られていると、横浜で若干人数が減り、戸塚で空いた席に腰をおろし、東戸塚、大船、北鎌倉、鎌倉、逗子で到着です。僕は、大船あたりで気持ちが仕事モードからお家モードへ切り替わります。

それはなぜなのかわかりませんが、そういう心の動きなんですね。たまに、あぁわかるわかると言ってくださる方に会います(笑)

この通勤時間に対して、友人たちからはよく、遠いじゃん!と言われました。でも、僕はこの通勤時間を遠いという感覚でとらえることはなくて、どちらかというと、海のある葉山に帰ってこれる、という葉山主体の気持ちが強かった気がします。

なんだか不思議な気持ちですね。

仕事の作り方、育て方

海の家の季節も終わり、これから涼しげな秋の顔を見せる葉山町。

僕が吉祥寺から葉山町に引っ越し、デジパのパートナー第一号として動き出したのが秋から冬にかけての季節でした。

パートナーとなった僕は、新しい毎日を楽しむべく、仕事の時間が空くとすぐ、徒歩圏内にある古民家を改装した素敵なカフェに足を運び、お茶をして時間をすごしていました。

デジパの仕事で得たスキルを住まう地域の中でも活かしてみたいという思いを持つ毎日。ですが、実績も知人もない場所ではプレゼンの場もありません。出会いのみが機会をつくりだす種でした。

いつも時間を過ごしているカフェは平屋を改装した小さなスペースだったため、ほかのお客さんと斜め向かいで1対1になるという状況もしばしば。話もはずみ、月に数人は近隣で何かをされている方と仲良くなりました。

そんなある日、鎌倉の海沿いにギャラリーを立ち上げるというお話を聞いて、自ら手を挙げて、ウェブサイトの立ち上げに参加したのがこの町での仕事のはじまりです。

それから数年経って、何もないと思っていた自分にも、いくつかの実績ができてきました。

知人経由で相談があるときもあれば、個人のウェブサイトからまったく新しい方にご相談いただくこともあり、その都度、新鮮な驚きがありました。

デジパでは創業当初から営業とディレクターを兼務し、企業とのやりとりを毎日行なっていたため、仕事のつくり方は理解していましたが、その反面、この町では組織という後ろ盾のない、ひとりぼっちの自分に仕事をもらえることのありがたさをしみじみ感じていたので、およびがかかるたびにできるだけのことをしたい、また、会社ではできなかったことをしたい、という思いでひとつひとつに携わりました。

それからは、地域のちいさな企画・デザイン事務所として、地域食材を用いたデリカテッセンのブランディングや、地域の訪問診療内科の企画に携わったりと、ローカル性の高い案件に携わらせて頂いています。

今のワークスタイル

移住をしてから色々な出会いで仕事をする中で、モノやコトを円滑に進めるための「ヒト」との関係づくりからはじめる、広いデザインに携われる喜びを感じています。

またデジパでの仕事も、パートナーになり自分で決めることの割合が高くなったことで、取り組む姿勢やお客様に対しての責任や背負うものを意識し、よりコミットすることが出来るようになりました。

はじめてのギャラリーの仕事に自ら手を挙げた頃の気持ちで、自分で身につけたちいさなスキルを、知らない場所でさらに育てるための挙手をつづけています。