「ZOOMによるリモートワークコンサルティング」を始めました。

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 南房総と東京の二拠点居住を始めて早いもので10年が過ぎた
二拠点居住を始めたきっかけは、2008年のリーマンショックだった
あの時に、金融至上主義から実物経済に時代が移っていくという予想があったのだが、私が予想したほど東京一極集中は、さほど変わらなかった
その間、2011年に東北大震災が起きて、当時、東京のコンビニエンスストアから食品が消えたのは記憶に新しい

 新型コロナウイルスの発生により、マスク供給が問題視されているが、世界で同時にマスクが必需品になった時、グローバルスタンダードなサプライチェーンという考え方が成り立たなくなるということが、今回、わかった
よりコストの安い場所でパーツを作り、安価な価格で世界標準の商品を作る出すという戦略の限界だ
この考え方により、例えばトウモロコシをより安い国で購入し飼料にすることで卵、牛肉の国際流通価格を抑えることを可能にしたが、トウモロコシ生産地の価格変動が起きて、本来トウモロコシを主食とする国民達のエンゲル係数が上がってしまうという弊害が起きた
この考えにより、経済格差は広がる一方である

 最近、「afterコロナ」「withコロナ」という言葉が使われ始めた
もうコロナ前の社会には戻らないと多くの人は考え始めている
しかし、ポジティブな側面も見え始めた
通勤しなくても仕事の効率が変わらないと答えた人が80%以上いるという統計データーが出ている
政府も印鑑の要らない社会構造の模索を始めている
リモートワークが加速したら、丸の内や渋谷に大規模なオフィスが、これまでの規模で必要がなくなる

 2010年、私の二拠点居住を境に会社をリモートワークに変えたが、お陰様で10年のリモートワークの経験があったので、今回の緊急事態宣言に関しては、会社の影響が出なかった
元々、オフィスで全員が顔を合わすことが月に1回だけだったからだ
私たちは、毎月第一週の水曜日を「オフィスディ」と呼んでいた
そろそろ、通勤というコストを考える時代にきている

 私が経営する、WEB制作会社のデジパをリモートワークにしたら、東京在住の社員の引っ越しが始まった
クライアント訪問が必要なディレクターは、千葉、埼玉、神奈川に引っ越し、一番人気は葉山だった
一番遠くに引っ越したのがデザイナーでニュージーランドのクライストチャーチ
二番目に遠くに行ったのが、フロントエンドエンジニアで宮古島
共に女子だった

 最近、ビジネスカウンセリングの90%がZOOMに変わった
先週は、九州、四国のクライアントとオンラインでカウンセリングしたのだが、平常時ではこんな現象は起きなかった
やっぱり、対面欲求が強かったのだが、最近、多くの人がオンラインの快適さを体感し始めたのを感じる

 高校生の息子の授業がオンラインに変わった
顧客情報20万人流出等の課題は多々感じるが、山が動き始めたのを感じる
ハーバード大学を蹴ってでも行きたいと言われているキャンパスを持たないミネルバ大学はオンラインである
世界中から2万人以上が出願するものの、合格率はわずか1.2%の超難関校である
教育の仕組みが大きく変化する中で、日本の公教育も本格的に見直されそうな勢いである

 10年前にデジパをリモートワークに変更した後に、課題になったののが、コミュニケーション障害とモチベーション維持だった
ここの改善に取り組んだ10年だった
実施したことは、徹底的にWEBツールを使った、skype,backlog,Github,
chatwork,trello,slack,zoom等、世間に普及する前から使い倒して、使えるものと使えないものを切り分けてきた
会議手法も、議題→ディスカッション→結論→スケジューリングから、「安心安全な場」を作ることを心掛けた
今でも、毎月、月初は、KPTというフレームワークを使う
ここでは、アイスブレークも兼ねて、前月起きていた、個人のプライベートな行動にもフォーカスする
Keep,Probrem,Tryの3項目をお互いにシェアすることから始める
一般的な会議から比べると、最初は「ユルく」感じるが、リモートワークではお互いの理解が重要だと感じている
少し前の時代だと、喫煙所がお互いを理解する重要な場所だった
オフィスに出社していた時代は、部下と昼ご飯を一緒に食べることも重要なコミュニケーションの場だった
リモートワークでは、一見無駄に見えるものが省かれる
だから「ユルい会議手法」が必要とされるのだ

*「ZOOMによるリモートワークコンサルティング」を始めました。
希望される方は、お問い合わせフォームからでもいいですし、ダイレクトメッセージでも大丈夫です
料金は 60分 3万円