感性論哲学

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感性論哲学の芳村思風先生の講話を聴いてきました
10年以上前、芳村思風先生の著書を読んでも何のことか全く理解できなかったのですが
今回は、心の琴線に触れました

人間が人間の「格」を持つ為に三つの条件がある
・謙虚さを持つ(人間は不完全である)
・成長意欲を持つ
・愛を持つ(思いやる、心づかい)
「思いやり」とは「思い」を行動することである
特に「愛」という言葉は、広く深くなかなか言語化できない
努力によってしか「愛」は示せないという言葉はすごく腑に落ちた
人格を磨くには、深さ、高さ、大きさを求める
そうすれば、人間は人物になる
そのために、肉体が痛み、苦しみを味合わないと本物にはなれない
娑婆世界こそ最高の道場である
座禅、瞑想は意識の世界、それだけでは、人格は上がらない

会社が理性のつながりならば、役職、仕事でつなぐことができた
過去の会社経営は理性でつなげていた
現代は、理性キラーの時代に入り、「理屈ではなく心がほしい」という人類根源の欲求が求められるようになった

縦型社会から横型社会
男尊女卑から男女平等
支配の経営から愛の経営(思いやりと心づかい)

「心のつながり」「仕事のつながり」「役職のつながり」
企業は3重構造になる

企業に人間的なぬくもりを、いかに持たせることができるかが、今後の企業の在り方である
社員の人間関係に心のつながり、心の通い合い、心の結びつきがあればいかなる理屈の対立も乗り越えることができる
理屈より心のつながりの方が強い

職場(家族)で7つの心が求められている
・認めてもらいたい
・わかってもらいたい
・ほめてもらいたい
・好きになってもらいたい
・信じてもらいたい
・許してもらいたい
・待ってもらいたい

問題は問題ではない、会社を進化させるためにある
問題は教えてくれている、ただ解決すればよい
気を病むから問題、「病気」になる

働く目的は人間が成長すること
職業とは人が幸せになり自分も幸せになる活動
金を目的に働くと悪がしこくなる、人間性が醜くなる
人に喜んでもらう仕事の仕方をする事が最初
人を幸せにしないと自分が幸せになる力が身につかない

人格主義経済
仕事をしないと人格が身につかない
肉体を動かさないと実力が身につかない
欧米人は「人格」を「personal」(個性)と認識し、人格的成長という概念がない
キリスト教文化では、人間は神によって与えられているので、既に完璧であり人間性を成長させようという考えがない
労働観が東洋と西洋では違う
東洋では、仕事は人格を磨くこと、西洋は金を稼ぐこと

「自由と平等」が近代社会の理念
それは、中世の身分制度からの開放から生まれている
「人類は平和実現」がこれからの理念

西洋文明は勝ち負けの対立をエネルギーとした「在り方」
民族戦勝や宗教戦争

考え方の違いが生まれる5要素
① 体験が違う(自分の肉体から学ぶ)
② 経験が違う(体験が学んだ意識的事実)
③ 知識情報の違い
④ 物事の解釈の違い
⑤ 人生の出会いの違い

対立した場合の対応方法は5つだった
① 説得
② 妥協
③ 媚
④ 逃げる
⑤ 戦争・喧嘩

感性論哲学では、対立は、自分が学び取らなければならない相手が現れたことを表す
統一(すべてを一つにする、個性を認めない)する時代から統合(相異なるモノを有機的に結びつける)の時代へ

人間の幅、豊かさとは、違った価値観を認める
愛は矛盾を生きる力
できることならみんなと仲良くしたという欲求を持っている
なぜなら、人間は母なる宇宙からつくられたから
人類は「千古の教場を去るべき時」を迎えている
小我から大我へ
「自分の仕事の意味や価値は何なのか?」を問うと、命が燃える欲求が出てくる
燃えるには感じなければならない
意味や価値を強く感じる
最高に意味を感じたら人は死ぬことができる

「命は感性で生きている」
感性が働かなくなると細胞がバラバラになる

現代は契約社会で権利をぶつけあっている
自己主張の強い者が勝つことが民主社会の実態
民主社会は攻め合う
労使の攻め合い
弁護士と検察
夫と妻
与党と野党
不完全な人間が攻め合う社会が民主社会
民主社会は個を破壊する
不完全を許し合う愛の社会が「護敬社会」

民族の誇りを欧米列強の植民地化政策により捨てさせられた
アジアは自国の伝統文化を取り戻す必要がある
中国は共産主義を捨て、本来持っていた、老荘思想、儒教に戻るとき、本当の意味の先進国になる

所感として、世界の中心は、アメリカから日本、そして中国、インドへと移り
インドに移った時に世界政府ができあがると思風先生が講話されたが、まさに、シルクロードのお礼参りのようだ
この辺りをもう少し、次回、お会いする機会がればお聞きしたいとおもう