早いもので、5回目の稲刈りを終えた。
5年前に、南房総に拠点を構えた後に大変だったのは、田んぼの確保である
まずは、基本となる米をつくることから始めようと考えたのだが、これがなかなか難しかった。
昨日やって来た見ず知らずの都会ものが田んぼを手にするのは至難のワザだった。
田舎には担い手のいない耕作放棄地が多く、どの役場も、移住者を増やそうと相談会を設けるといった活動を行っている。
しかし、その状況とは裏腹に、先祖代々受け継いできた田んぼを訳のわからないよそ者に貸したくないという事情があるのだ。
特に、状態の良い田んぼはまず借りることは難しい。ひどいケースだと、田んぼに水がまわってこないこともある。
かつて水を争って殺し合いをしたと言うほど、農家にとって水は死活問題。田んぼの生命線である。その水は上流に位置する田んぼから順番にまわされる。
水を使い切ってしまうと下流の田んぼまで水がまわらないため、水をせきとめ、下の田んぼにまわすようになっている。
ところが水の少ない地域の場合、下の田んぼまで水がまわってこない。
移住者に耕作放棄地を斡旋するという農業委員会に足を運んだが、まったく相手にしてくれなかった。
人に貸したいというニーズはあるが、それは私のような素人ではなく、知識も技術も充分に持っている人に貸したいのだ。
これは、農家はすぐにでも会社員になれるが、会社員は農家資格がないので農地を買うことができないという農地法が障害となる。
この地域では、5反(1500坪)以上の耕作をしていないと農家資格はとれない。
資格がとれないと、農地を買うことができない。移住者がいきなり5反を耕作するのはどう考えても難しい。
古くからある農地法が農業の活性化にとって弊害となっている。
壁にぶちあたった私は、起死回生を狙ってネットで検索をする。隣の鴨川にはコミュニティを持っていたが、千倉には知り合いがいなかったので、キーマンを探して相談しようと考えたのだ。
すると「たのくろ里の村」という情報にたどりついた。
早速、ウェブサイトに書かれていた代表の川原孝さんに電話をして「移住してきて、田んぼを探しているのですが、情報はありませんか?」と尋ねたところ、
明日の18時に千倉駅近くの居酒屋に来なさいと言われた。
光が射したような気持ちで喜び勇んで出向くと、立派な体格をした、房州弁の親父さんが出迎えてくれた。
私の話に耳を傾けると、おもむろに電話をかけて、ふたりの人物を呼び出した。
ひとりは、南房総のライオンズクラブの会長を務める川名融郎さん。
もうひとりは、当時、役所の総務課長を務める島田守さん。
二人とも自宅から駆けつけてくれたようだった。
どうやら私がネット検索で引き当てた川原さんは、千倉の親分的な人物だったようだ。
呼び出されたそのふたりは、次から次に耕作放棄地の情報を提示してくれたのだ。
川戸にある、上瀬戸あると、どんどんと候補地が出てくる。
実際はあるのに、貸してもらえなかったのだ。
それが、信用できる紹介者が仲介すると、あっという間の話なのだ。
住居を探したときにも痛感した、田舎では人のネットワークを作ることが何より重要なのだ。
こうして、ようやくではあったが、一反五畝(いったんごせ)の田んぼを借りることができた。
坪に直すと450坪、畳900枚の面積である。
田舎暮らしはキーマンを見つけることが大事だ。