13年ぶりに出版しました。
「検索せよ。そして動き出せ。~パラレルライフを実現する出会いのドアの開き方~」(ビジネス社)
私にとって、リーマンショックの後に起きた出来事や出会いが人生を大きく広げるきっかけとなりました。
一年間、自己再生の旅に出てみて超金融資本主義の終焉を感じ「食の自給と信頼のコミュニティ」が何より重要だという仮説を立てて、あわの国に居を構えました。
会社経営においても徹底的に解放するという経営に転じたら、黒字転換し、多くのメンバーが東京を飛び出しました。一番遠くまで飛んでいったウェブデザイナーはニュージーランドのクライストチャーチ。
そんな、気づきと実践内容を綴ってみました。
・半農半起業家という生き方を選んだ理由
・超金融資本主義から広域型の自給コミュニティへ
・二拠点居住が幸せ度を上げる
・南房総の移住者はあばら骨が足りない
・ハイブリッドに働いてみよう
・会社を開放「一番遠くまで飛んでいったウェブデザイナーはニュージーランドへ」
・会社設立13年で9名が起業
・モノからつながりへ
以下、著書より抜粋
「毎週、千葉県の南房総と東京を移動する二拠点生活も5年目に入った。
起業家を目指して、26歳の時に初めて新卒の人材コンサルティング会社であるワイキューブを仲間5人で起業し、その後、2度の起業と1度の倒産を経験した。
私の人生を大きく変化させたのは、2008年に起きたリーマンショックだった。
余儀なく事業縮小を強いられ、自分の人生を再生するために、自己再生の旅に出た。
その出来事で感じたことは、行き過ぎた金融至上主義はもう続かない。
バーチャル経済から実経済に移行する。
グローバリゼーションからローカライゼーションに軸が動く。
かつては、バックパックを背負って世界30カ国を放浪した知見と、経営者としての経験から、再生の旅のキーワードを、私は「自給自足」と「コミュニティ」とした。
そして、あらたに日本全国を巡って得た気づきをもとに、NPO法人「あわ地球村」を立ち上げ、パラレルワークを始めた。
無農薬、無化学肥料で米と味噌と醤油をつくり、その仕組みを都会で暮らす人々にも広く提供することで「結い」のコミュニティをつくり、持続可能な社会をつくるきっかけとなりたいと考えたからだ。
会社経営の仕組みも根底から変えた
東京では、ウェブ制作会社であるデジパを経営しているのだが、リーマンショックを機に赤字転落した。
それをきっかけにピラミッド型組織のマネージメントを放棄した。
私が、田舎暮らしを始めて、パラレルワークを始めたら、多くのメンバーが東京都心から離れていき、更にパラレルワークを始める人が自然多発的に増え始めた。
一番遠くに引っ越したウェブデザイナーが選んだ場所は、ニュージーランドのクライストチャーチだった。
自分が住みたい場所に住んだり、好きなことをサイドワークにしたことで、各個人の能力が上がった。好きなことをする時間を増やしたことで、生きるエネルギー源が大きくなったことと、普段使わなかった脳を活用した効果であると私は分析をしている。
結果的に、会社が再び黒字転換し経常利益が上がり始めた。
私自身は、価値観と行動を変えたおかげで、まったく違う人生になってしまった。
代償として、「会社は毎年右肩上がりで成長しなければならない」「全員が同じフロアで働かなければ会社が機能ない」などの固定観念を捨てた。
今は、歴史の断層を歩いているような変化の激しい時代なので、目の前の現実に危機感や閉塞感を抱く人が多い。
でも、少し視点をずらすと新しい世界が広がっているのかもしれない。
今、地方の空き家率はどんどん高まり、私が住む南房総市は、22.3%である。(2008年総務省資料)
東京のオフィスから南房総の拠点まで、車でわずか1時間半。
東京の一極集中が進んでいるのを感じるが、一方で別の生き方の選択も可能になってきている。
自然あふれる田舎に拠点を持って、農を始めたり、地域通貨を活用して新しいコミュニティを作ったり、週末カフェ、週末シェアハウスをやってみたり、地方の過疎化、インターネットサービスの普及により、新しいチャンスが生まれてきている。
そして、田舎から新しい取り組みを始める人が増え始めている。
この著書は、私の自己再生の旅を通じて知った、日本社会で起こり始めている幸せ価値観の変化、田舎で新しい生き方を選択した人々のケーススタディ。なぜ、私が経済一辺倒から「半農半起業家」という生き方を選択して二拠点生活を始めたのかを記してみた。」