- 桐谷
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「会社を移って自分を磨いていくのは当たり前」という平松流キャリアステップなんですが、日本人の中では割合レアな存在かなと思っているんですけど、その中でも火中の栗を拾う人というイメージがあるんですが。
- 平松
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全然火中の栗じゃないですよ。選択肢がなかっただけで(笑)ヘッドハントだったら多分来なかったとでしょうね。火中の栗の話では、1月16日に地検が入ってきて何がなんだか分からないし、堀江とも宮内ともまったく話せず、何の情報も入ってこない。入ってくる情報はテレビ、新聞だけ。それでウチは朝の5時から夜中の2時まで30人くらいの報道関係者に張り込まれるというのが3ヶ月くらい続きました。
1月18日に堀江に呼ばれて、二人で会議室に入ったとき「大変なことになった。万一のことがあったら、ここの会社やって欲しいんですけど」と言われて「はい、わかりました」みたいなことではありません。そんなこと言うどころの騒ぎじゃないくて、「何これ、どうなってんの。何が起きてるの」という話だったんです。堀江の方も「全く分からない」「いろいろ報道されているけど、そんなことはない」ということでした。
それまで一所懸命、寝る間も惜しんで人のやらないことをやってきました。「Do what others don't」人がやらないことをやる。これはソニーのコーポレートミッションでもあり、悪いことではありません。しかし法律違反というのはやってはいけない。子会社の社長でしたけど、当時僕はライブドアの上席副社長か上級副社長で、執行役員、株式会社ライブドアというタイトルがありました。ですからライブドアは自分の会社でもあったわけです。自分の会社がメラメラ燃えているときに消さないわけにいかないでしょう。
考えてみるとこの1年10ヶ月、特に最初の1年。みんな大変だったでしょうが、それよりもファイティング。1日14~5時間はいたと思います。朝の8時から夜の10、11時までみんなといたし、1日8個、10個のアポイントメントをこなして、さすがにそこまでするとちょっとパニクってきますね(笑)タクシーの中で秘書が用意してくれたサンドイッチを食べたり、そういう生活でした。
さきほどお話ししたとおり、僕は雇われ社長だったものですから、コーポレートガバナンスとかコンプライアンスということを知識として知っていたけれども、身に付いていなかった。ですから今回はコーポレートガバナンスとかコンプライアンス。それから上場会社の社長をしたことがなかったので証券取引法とか新会社法などをものすごく勉強しました。またライブドアというのはテクノロジーカンパニーで、Web2.0、CGM(Consumer Generated Media)の世界では突出した存在ですが、これを全部教えてくれたのが30代の部下でした。僕は「師匠」って呼んでいるんですが(笑)そういう新しいことを貪欲に勉強しました。ですから自分の人生の中で60歳が一番伸びたと思っています。

- 桐谷
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平松さんがCEOとしてキャリアアップされてきた道程は、いままでの日本では数少なかったものだと思っているんですけど。
- 平松
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僕が最初にソニーを辞めたのは86年でしたが、みんなから「なぜソニーを辞めたんだ」と言われました。辞めたのではなく、ストラテジーとして逃げたのです。僕は子供の頃からお山の大将をやりたかった。だからCEOになってみたい。自信はあったんですが当時のソニーには、ライトにイチローがいて、センターに松井、レフトにタフィ・ローズがいるようなものでした。一方こちらは甲子園に出た程度。世の中には競っちゃ行けない奴というのがいるんですよ。天才なのに努力家みたいな。ここにいたら一生ベンチをあたためることになるなと思ったわけです。そこでストラテジーを変えて大陸へ行こうと。たまたま「大リーグ」からも話があったことですし。
- 桐谷
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小僧comが、平松さんが本当に起業家としてやりたいビジネスモデルだとありましたが。
- 平松
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夢を描いてそれに自分のお金を投資する。それが起業家ですよね。92年にはじめてIT(Information Technology)という言葉を覚えて、94~95年にインターネットの世界に入って、いろいろな人と知り合いました。それまで企業家としていままでやってきましたが、今度は起業家、アントレプレナーですね、そこがこれから目指すところじゃないかと思っています。
いろいろ自分なりのビジネスモデルを考えていますが、ひとつは農業の企業化。農業というのは零細企業の集団ですから、効率も大変悪い。一次産業が衰退することは国力の衰退につながるとすっと危惧していました。それともうひとつがアメリカのAARP(American Association of Retired Persons)という50歳以上の人の団体の影響です。これから高齢社会になってきますが、高齢というのではなく人生の後半戦と考えよう。そして目標を立ててストラテジックに楽しく生きようという、こういうのが日本で面白いと考えています。
小僧comというのは、愛媛県に青島という平均年齢が70何歳の島があって、そこでは昔から「30、40はよちよち歩き、50や60ははなたれ小僧」というそうです。それをたまたま読んでこれだ!と思ったわけです。僕も庚三でkozoということでそういう名前にしました。小僧comはSNS(Social Network Service)の中でも極めてユニークな存在です。男性の40%、女性の30%が本名で、ものすごく頻繁にオフィシャルなオフ会とか開かれています。通常インターネットコミュニティの特徴に匿名性がありますが小僧comの場合はそうじゃないんですね。Face to Faceになっているんです。おもしろい50歳以上の集団なんですが、このところ30、40の入会希望者が増えています。
それはそれでうれしいのですが、学生など若い世代に保守化傾向が見られますね。リクルートの人と話したんですが、いまの学生はビールじゃなくて、チューハイやカクテルみたいな安いのを飲んで、真面目に勉強し、重厚長大な会社に入ること望んでいる。なんかライブドア事件とかがあって、振り子がガーッと逆に振れるということは世の中でよくあることですが、学生もそれに乗ってコンサバになってきている。コンサバがすべて悪いとは言いませんが、全員がそうなるのはちょっとね。
- 桐谷
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以前はインターネットビジネスということで一攫千金を夢見て応募してくる学生がいましたが、いまそういう人はほとんど来ませんね。
- 平松
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メディアが成熟していないということですね。今日も地下鉄で見たんですけど、週刊誌は大手各社の生涯賃金とかそんな細かいことばかり書いている。そしてそこへ行くためにいい大学に入る、そこ大学に入るためにいい高校、中学、いい小学校、幼稚園みたいなそんな記事があふれています。これでは人生まったく面白くない。わずか22歳で○○商事とかに入って、これで30年大きな失敗をしなければ生涯賃金1億5千万円とか2億、という考えの人が増えているようです。もっと新しく、社会を変えてやるんだ。インターネットで、金融で、テクノロジーで、新しい社会を開いて同時に自己実現も果たすんだ、という野望を持った人たちが少なくなったような気がします。
転職という話で言えば、人間関係が悪い、あの課長とうまく行かないという理由で転職するのは「ジョブ・ホッパー」といいます。そうじゃなくて転職するときは必ず8%くらいは年収を上げていかなければならないんです。しかしそこにはそれ以上のリスクがあって、それを分かった上でストラテジックに考えなければなりません。自分がプロダクトであり、事業主ですから、それを磨いていく。売るものはこれしかないわけですから(笑)
もともとライブドアはすぐ辞めて、やりたいことをやるつもりでした。そこで2005年の10月くらいに堀江に「あと1年だからね。」というと「どうして辞めるっていうんですか」というから、これこれこういうことをやりたいんだと話すと、「それは面白いですね。いっしょにやりましょう。」ということになって関連会社で大手を振ってできるはずでした。ところがその後、こういうことになってしまったわけですけど。まだまだこれからですね。
- 桐谷
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平松さんのこれからを楽しみにしています。お忙しい中ありがとうございました。
※インタビューに掲載されている企業・団体様の活動と弊社は一切関わりがございません。






