日本技芸 代表取締役 御手洗大祐氏|業界インタビュー

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CNET Networks Japan社長として、ブログの導入やRSS配信、ニュース記事へのトラックバック受け付けなどメディアを革新し、現在(株)日本技芸社長として幅広い活躍をされている御手洗大祐氏に、インターネットの理想とビジネスについてうかがった。

デジパ

もともとコンピュータにご興味があったということですが、大学ではどんなことを勉強されていたんですか?

御手洗

横浜国立大学の教育学部だったんですが教育と教養の2つがありまして、教養の総合芸術課程で、美学、芸術学を勉強していました。もともとファインアートをやろうと思って入ったんですけど、いきなり先生から「アートは終わった」という刺激的な話をうかがって(笑)。アートとしては当時はあまり認められていなかったメディアアートに興味を持ちました。そこでマックに触れて、今までのコンピュータとかなり違う、表現のところにコンピュータを活かせると感じて、それから深みにはまりました。

デジパ

卒業後NTTに入社されてインターネットの仕事を?

御手洗

大学の後半くらいからインターネットをやり始めたのですが、当時商用のプロバイダが3つくらいしかありませんでした。それでも大学のころからウェブサイトの制作などもやっていたのですが、文系だったんで学内にインターネットに接続できるLANがない。そこで自分で商用プロバイダと契約したんですが、お金もかかるし、いろいろ限界がありました。そこで勉強しながら働ける、しかも余裕のあっていろいろな研究もできるところに就職しようと考え、それでいくつかあるうち一番、新しいことができそうなところに入りました。

デジパ

3年で辞められたのは、やりたいことがあったからですか?

御手洗

NTTではeコマースの新しい技術を考える部署に所属していました。そこが研究開発と事業部門の境界部門で、研究所の技術を事業化するとか、外にある技術を持ってきてそれを事業化したりなど、非常にいい仕事をいただいてました。コマースの領域に閉じたところをやっていたんですが、隣のプロジェクトがコミュニティのプロジェクトで、そちらの方も自主的に片足をかけるような感じで関わっていました。

コマースのプロジェクトの関係でシリコンバレーの会社と共同で事業を立ち上げる話になり、そのプロジェクトが日本でコンソーシシアムを作って、そこがお金をアメリカに出しプロダクトを作ることになったんですけど、そこの会社の人と接しているうちに、本人的には作る方が面白いじゃないか、お金を出すより自分でやっている方がいいと思い始めました。また、当時仕事はB to Bにかなり寄っていたんですが、B to Bっていうのはキチキチ仕様を決めながらやっていくので、進むのがかなり遅い世界なんです。インターネットのダイナミズムとはかけ離れたスピードの遅さに、信じられない思いでした。そこでプロジェクトが次のフェーズに移るタイミングで、自分のやりたいことをやろうと思い、辞めました。

デジパ

そのあとすぐネオテニーさんのところへ。

御手洗

ネオテニーの伊藤穰一さんとは、学生の頃知り合いました。伊藤さんは日本のインターネットの草分け的存在で、ビジネスとか、アプリケーション面で何か作ったりすることをやられていてました。学生の頃、伊藤さんのメーリングリストに入っていたんですが面識はなかったんです。

あるときゲーム大会があって、その運営を担当していたのがネオテニー(の前身のエコシス)で、そこで伊藤さんとはじめてお会いして、以来学生時代にいろいろお仕事を一緒にさせていただいていました。NTTを辞めるにあたって、まわりにお知らせするメールを出したら、「フラフラするんなら、こっちへ来たらどうか」と誘われました。

デジパ

すぐにネオテニーさんの出資でバックテクノロジーズ株式会社を設立されましたね。

御手洗

1999年11月にバックテクノロジーズ株式会社を作りました。NTT時代コマースとコミュニティを手がけていたのですが、自分の感覚としてコミュニティのビジネスがあまりうまくいっていないと思っていました。世の中的にもBBSはお金が続かなくて破綻するものというイメージがあって、でもそのコミュニティの中で交わされるコミュニケーション、たとえば本に載らないような内容について専門家が長々と解説していたりみたいなことには価値があると考えていました。そういうコミュニティを一からちゃんと作って、自分のいる場をなんとか維持したい。そのために何ができるかを考えたとき、レビューのサイト、いわゆるカタログのサイトとコマースのサイトをくっつけて情報を一元的に整理して見せれば、編集価値的なものが出てくることを思いつきました。

しかし結局そのオンライン事業はあまりうまくいきませんでした。コミュニティのノウハウであるとかシステム設計のノウハウ、プロダクトをASPとしても使える仕組みにしていたことで、B to Bの利用があって事業は継続できていましたが。

そして3年。このまま会社をやっていて「このままでいいのだろうか」と思い悩むようになりっていたところ、たまたまCNETから話があったのでお受けしました。

デジパ

CNETの日本法人の立ち上げを社長としてやられたわけですね。

御手洗

当時NTTPCコミュニケーションズさんがすでに日本で媒体を運営されていました。ブランドライセンスの契約が切れることもあり、米国側としては日本で本格的に展開するため、コンテンツから何から一度総ざらえをして立ち上げ直すかたちではじめました。

デジパ

当時ブログをはじめたメディアはCNETがはじめてだと思いますがその経緯は?

御手洗

もともとネオテニーはシックスアパートの出資元でもあったので、Movable Typeやブログについてはよく知っていました。個人的にもパブリッシングの合理化、データの可用性を高めるため、そうしたプラットフォームを使おうという考えもありました。

ただCNETは自前のCMSを持ってたので、本来は使う必要がなかったのですが、その当時編集長だった山岸君(現GREE副社長)が「そういうトレンドに乗って何かやるのも面白いじゃないか」というので「じゃあ試しにやってみるか」ということでブログを使ったコラムをはじめてみたわけです。

デジパ

今考えると画期的ですよね。

御手洗大祐氏写真

御手洗

ただブログのコラムをはじめたことで、世の中的にCNETの認知が高まったということはなくて、重要だったのはニュースの配信をRSSではじめたことだったのだと思います。メディアのRSS配信はおそらく日本初だったと思います。これも山岸君のアイデアなんですけど、会社の課題としては、あまり予算をかけずに外側にいるユーザにコンテンツを読んでもらうために、オーディエンスディベロップメントをやっていかなければならなかったんですが、そのために何をしたらよいかを考えたわけです。

やり方は他サイトに広告を出すなどいろいろあるわけですが、そんなに予算が使えない。自分たちの持っているアセット(資産)を活かしてそういうことをやらなければいけない。そうすると自分たちが持っているアセットはコンテンツで、この面白いコンテンツを使ってユーザ開発するしかない。RSSはそういうものを自然にフィードしてくれる技術なので、使ったらいいんじゃないかと提案したらみんな賛成してくれました。

今でこそ皆RSSを使っていますが、当時のメディアがRSSを使わなかった理由は、ディープリンク禁止、つまりトップページにユーザを誘導したかったところにあったのではないかと思います。トップページのバナーの価値が非常に大きかったんです。インターネットの世界は本のようにはじめから1ページずつ開くようなものではないですから、入ってくるところはどこでもいい。サイトのいろいろなところを見てもらえば、メディアの価値は伝わるのですが。

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